日本歴史地名大系 「谷中本村」の解説 谷中本村やなかほんむら 東京都:荒川区谷中本村[現在地名]荒川区西日暮里(にしにつぽり)一―二丁目・東日暮里(ひがしにつぽり)五―六丁目、台東区根岸(ねぎし)二丁目上野台地東側にある。西は新堀(につぽり)村、南は谷中町(現台東区)、東は金杉(かなすぎ)村(現同上)、北は三河島(みかわしま)村。北条氏所領役帳には 「江戸屋中」三九貫文がみえ、江戸衆遠山弥九郎の所領。田園簿に谷中村とあり、田一四六石余・畑七七石余。内訳は常性寺領一五石・天神(現湯島天神)領五石・幕府領二〇四石余。その後谷中町が分立し、元禄郷帳には谷中本村とあり、高二八三石余。この間、寛文五年(一六六五)までに谷中村三四石余が東叡山寛永寺領となり(寛文朱印留)、元禄一一年(一六九八)にはさらに一部が東叡山寛永寺中堂領となり(「徳川綱吉寄進状」新修荒川区史)、同一四年の東叡山領知目録写(東叡山令条)では谷中村高二九六石余とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by