荒川区(読み)アラカワク

デジタル大辞泉 「荒川区」の意味・読み・例文・類語

あらかわ‐く〔あらかは‐〕【荒川区】

荒川

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日本歴史地名大系 「荒川区」の解説

荒川区
あらかわく

面積:一〇・二〇平方キロ

東京都の北東部に位置し、北・東を隅田川が流れ、南は台東区、東は墨田区、北は足立区、西は北区・文京区と境を接する。JR山手線・常磐線、営団地下鉄千代田線・日比谷線京成電鉄、都電荒川線などが通る。区域の大部分は高低差のない隅田川以南の沖積低地で、日暮里につぽり北方の道灌どうかん山・諏訪すわ台とよばれる山の手台地に連なる地域が最も標高が高く二一メートル、最低は南千住汐入みなみせんじゆしおいり地域の一メートル地帯。区域は軟弱な地盤の低地帯であることから、古来より水害の多い地域であった。

〔原始・古代〕

遺跡は諏訪台と道灌山の台地を中心に形成されている。縄文時代後期の日暮里延命院につぽりえんめいいん貝塚は西日暮里三丁目の延命院の崖下にあり、都内では大森おおもり貝塚(大田区)に次いで明治二一年(一八八八)に報告されている。一方、西日暮里四丁目の道灌山遺跡からは縄文後期の土器、弥生時代の住居跡・環濠・土器、古墳時代以降の土器、平安時代の竪穴住居跡、平安時代から中世に属すると推定される溝状遺構などが検出されている。古墳の存在は確認されていないが、南千住六丁目の素盞雄すさのお神社の瑞光石、東尾久ひがしおぐ六丁目の下尾久石尊が古墳の石棺ではないかと推定されている。古代には「和名抄」記載の豊島郡七郷のうち占方うらかた郷が当区域に比定され、一部は荒墓あらはか郷にまたがっていたと推定される。区域内ではかつて条里地割様の遺構が確認されており、三河島みかわしまの小字二ノ坪にのつぼを条里関連地名とする説がある。

〔中世〕

治承四年(一一八〇)源頼朝が下総より武蔵国に入り、長井ながい渡で隅田川を渡ったという(「吾妻鏡」同年一〇月四日条など)。この長井渡は現石浜いしはま神社周辺であるとも伝える。鎌倉時代から確認される地名として小具おぐ郷がある。「吾妻鏡」仁治二年(一二四一)四月二五日条にみえる「豊島庄犬食名」が小具郷のことともみられ、同郷をさすとすれば、同郷は豊島庄に属するとともに、現北区豊島を本拠とする豊島氏の所領であったことになる。仁治二年に「犬食名」は豊島氏から鎌倉幕府に収公されており、その後江戸氏の所領とされた。しかし正和元年(一三一二)には鎌倉鶴岡八幡宮領とされ、室町時代まで基本的に継承されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「荒川区」の意味・わかりやすい解説

荒川〔区〕
あらかわ

東京都 23特別区の一つ。東京都北東部に位置し,荒川の右岸に沿う。 1932年区制。 1947年特別区制。全区ほとんど低湿な沖積地。江戸時代は日光・奥州街道宿場町で,荒川水運を利用した物資集散地としての役割もあった。明治以後,南から工場・宅地化が進行。現在,金属,機械などの工業が立地しているが,中小企業が多く,商店,住宅の混在した典型的な人口密集地区。 JR山手線,京浜東北線,常磐線,京成電鉄本線,東京地下鉄千代田線,日比谷線,都電荒川線が通る。面積 10.16km2。人口 21万7475(2020)。

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