日本歴史地名大系 「谷中真島町」の解説 谷中真島町やなかましまちよう 東京都:台東区旧下谷区地区谷中真島町[現在地名]台東区谷中(やなか)二丁目・同四丁目明治五年(一八七二)に起立。美作勝山藩(真島藩)三浦氏の下屋敷を中心とし、近隣の武家屋敷を合せて成立した。東は谷中三崎(やなかさんさき)町と谷中坂(やなかさか)町、西は根津(ねづ)、南は谷中坂町、北は谷中三崎町。勝山藩下屋敷は正保江戸絵図に「三浦亀之助」とみえている。亀之助とは亀千代(のち安次)のことであろう。寛永一〇年(一六三三)三代将軍徳川家光が王子(おうじ)村(現北区)で狩をした時に手負いの猪に襲われたが、そばにいた安次の父正次が猪を即座に斬った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報