出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都台東区,上野台地北西端の地名。JR日暮里(につぽり)駅の西側にあたる。古くは〈屋中〉とも書いた。谷中は上野と駒込の中間に位置する谷の意とする説などがある。江戸時代にはすでに,付近の台地の上を含むかなり広い範囲が谷中と呼ばれていた。初見は戦国時代の1559年(永禄2)。当時は後北条氏の家臣遠山弥九郎の所領であったが,江戸時代の谷中村は初め天領,のち東叡山中堂領となる。元禄年間(1688-1704)ころまでに大半は市街地化したが,とくに慶安年間(1648-52)以後,神田台方面からの寺院の集中などによって大規模な寺町が成立し,俗に〈谷中八丁に九十八ヵ寺〉といわれた。その中心をなした感応寺(天王寺)は応永年間(1394-1428)の創建と伝えるが,3代将軍家光の代(1623-51)に寺域を大拡張した。以来,毘沙門天をまつる巨刹として知られることとなったが,富くじ興業の勧進元としても有名で,のちに湯島天神,目黒不動とともに〈江戸の三富〉といわれた。その門前には感応寺表門前新茶屋町(俗称いろは茶屋)などの岡場所も発達し,遊客でにぎわった。1878年の郡区町村編制法によって,谷中地域に下谷,上野など周辺地域を合わせ下谷区(東京府)が成立した。1947年下谷区と浅草区が合併し台東区となる。現在は1874年に旧天王寺境内に開設された都立谷中霊園(面積約10.3ha)で知られるが,その周辺には下町風の閑静な町並みが残り,町域西部に多い古寺や史跡とともに江戸情緒をいまに伝えている。
執筆者:大石 庄一
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