20世紀日本人名事典 「谷口正孝」の解説 谷口 正孝タニグチ マサタカ 昭和期の裁判官 元・最高裁判事。 生年大正6(1917)年1月28日 没年平成6(1994)年6月25日 出生地鹿児島県 出身地宮崎県延岡市 学歴〔年〕九州帝国大学法律学科〔昭和15年〕卒 学位〔年〕法学博士〔昭和31年〕 主な受賞名〔年〕勲一等瑞宝章〔平成1年〕 経歴名古屋地裁判事を振り出しに一貫して刑事畑を歩む。昭和33年名古屋高裁判事、38年東京高裁判事、50年宇都宮家裁所長、51年東京高裁判事、54年東京地裁所長を経て、55年最高裁判事に就任。「生産管理事件」「小松川高校生殺人事件」「メーデー事件」などを手がけ、多くの重要事件で反対意見を述べ、最高裁の「一言居士」と言われた。62年1月退官。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷口正孝」の解説 谷口正孝 たにぐち-まさたか 1917-1994 昭和時代の裁判官。大正6年1月28日生まれ。昭和17年判事となり,刑事畑をあゆむ。38年東京高裁判事。メーデー事件の控訴審を担当,47年騒擾(そうじょう)罪は不成立とした。55年最高裁判事。60年の衆議院定数訴訟判決をはじめとして,少数意見を付すことがおおかった。平成6年6月25日死去。77歳。鹿児島県出身。九州帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by