日本歴史地名大系 「谷相村」の解説
谷相村
たにあいむら
天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳には「自是谷相名先高十貫ト有」として、谷相名分四六筆七町三三代四歩が記されるが、そのすべてが谷相勘解由兵衛の給地。貫高評価が高いのは、下々の等級ながら全面積の九七パーセントが水田化していたことによる。一筆当りの面積も意外に広い。谷相氏の先祖は北面の武士であったが、勘解由兵衛の時乱を避けて京より下り、長宗我部元親に仕えて谷相村を与えられ、谷相姓を名乗ったという(香北町史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報