日本歴史地名大系 「谷越村」の解説 谷越村やごえむら 群馬県:館林市谷越村[現在地名]館林市谷越・本町(ほんちよう)二―四丁目・千代田町(ちよだちよう)・栄町(さかえちよう)・富士見町(ふじみちよう)館林城下の南に接し、鶴生田(つるうだ)川が東へ流れる。東は松原(まつばら)村、西は成島(なるしま)村、南は新宿(しんじゆく)村。南北に日光脇往還が通る。当村はその昔、北の館林、南の松原台地に挟まれた東西に長い低湿地帯であったので、俗に下町とよばれた。この地方では湿地のことを谷地(やち)または谷(や)といい、この谷地を越えて往来したことから谷越の地名が生れたという。北部は文禄―慶長(一五九二―一六一五)の頃、検断職小寺・青山両家で開墾、その後しだいに発達して市街地化し、両家の給田地となった。その付近を田町(たまち)、さらにその南にあたる鶴生田川南岸の地を荒宿(あらじゆく)とよび、ともに当村のうちであったともいう(館林町誌稿)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by