日本歴史地名大系 「日光脇往還」の解説
日光脇往還
につこうわきおうかん
この街道は統一された名称が付されていたわけではないが、江戸時代に八王子千人同心が交替で下野日光山火防のため通行した道で、日光脇往還とも称すべき重要街道の一つであり、
「風土記稿」の関係各村の項にこの街道の記述がみられるが、現埼玉県域最初の宿継所である二本木村の項には「此所古クヨリ八王子ノ者日光ヘ通フ往還ノ宿駅ニシテ」とあり、扇町屋村の項では「此所八王子ヨリ日光ヘノ街道ニ当リテ」「青梅町ヨリ川越城下ヘ通フ道モ二条アリ、何レモ宿ノ前後ニテ日光街道ヘ係リ」と記されている。
日光脇往還
につこうわきおうかん
- 東京都:八王子市
- 日光脇往還
江戸期の脇往還で、八王子と日光を結んでいた道。江戸と日光を結ぶ日光道中に対し日光往還と称された。「武蔵名勝図会」は日光道とよび、また日光街道とも称したといい、慶安(一六四八―五二)の頃から開かれた道という。日光方面からは八王子道ともよばれた。道筋は、
日光脇往還
につこうわきおうかん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報