大阪府中南部、大和(やまと)川左岸にある市。1955年(昭和30)松原、天美(あまみ)の2町と布忍(ぬのせ)、三宅(みやけ)、恵我(えが)の3村が合併して市制施行。市名は反正(はんぜい)天皇の丹比柴籬宮(たじひしばがきのみや)跡を「松生(お)いし丹比の松原」といった故事による。宮跡には柴籬神社が建てられている。市域は狭山(さやま)古扇状地の緩斜面にあり、北境に大和川が流れる。近畿日本鉄道南大阪線が中央部を貫通、阪神高速道路松原線、近畿自動車道、西名阪自動車道、阪和自動車道、国道309号、大阪中央環状線が通じる。古代、難波(なにわ)と大和を結ぶ古道の竹内街道(たけのうちかいどう)と長尾街道が通り、沿道に史跡が多い。東の河内大塚山古墳は全国でも屈指の前方後円墳である。江戸期には河内木綿(かわちもめん)の産地として知られた。日本最古の溜池(ためいけ)の一つである狭山池の灌漑(かんがい)地で、米のほか野菜の近郊農業が発達している。また、食料品、織物や金属、機械類などの中小規模工業や印材生産がある。昭和初期より現近鉄南大阪線沿いが宅地化され、とくに第二次世界大戦後は住宅開発が著しく、大阪市の衛星都市となっている。2002年(平成14)布忍神社(ぬのせじんじゃ)の本殿が大阪府の有形文化財に指定された。面積16.66平方キロメートル、人口11万7641(2020)。
[橋本九二男]
『『松原市史』全5巻(1974~2008・松原市)』
大阪府中部,大和川を隔てて大阪市の南に隣接する市。1955年松原町,天美(あまみ)町,三宅村,恵我村,布忍(ぬのせ)村が合体,市制。人口12万4595(2010)。市域は南方の狭山(さやま)池付近を頂点に北へ緩やかに傾く扇状地の上にある。狭山池を水源に早くから水田耕作が行われ,条里制の地割りが残る。難波と飛鳥を結ぶ竹内街道,長尾街道と中高野街道の会合地に古い集落が立地した。1923年大阪鉄道(現,近鉄南大阪線)が開通して住宅地化が始まり,第2次大戦後本格化した。大都市近郊のため農業は衰退しているが,トマト,ナス,キュウリなどのビニル栽培や酪農,養豚が営まれている。大阪中央環状線,西名阪自動車道(松原ジャンクションで近畿自動車道,阪和自動車道が分岐)などが市域を通過するため,沿線には食料品,繊維,金属関連の工場が進出しているが,特産の印材やはけ製造業も含め,工場の規模は小さい。市域には,雄略天皇陵といわれる大塚山古墳や反正天皇を祭神とする丹比柴籬(たじひしばがき)神社,平安末期創建の来迎(らいごう)寺などがある。
執筆者:秋山 道雄
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…大津の湖岸に残る関の名をもつ数多くの船着場跡は中世以来のなごりであり,1929年まで続いた大津米穀取引所は小型の大坂堂島米市場といえよう。 彦根藩は領内三湊として松原(現,彦根市),米原,長浜を擁した。米原湊は江戸初期の新設で,中山道の番場宿に連絡する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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