豊後新田村(読み)ぶんごしんでんむら

日本歴史地名大系 「豊後新田村」の解説

豊後新田村
ぶんごしんでんむら

[現在地名]大平町あらい

新井あらい村の南西に位置し、南東西水代にしみずしろ村と接する。永禄年間(一五五八―七〇)に豊後守某が開発したという。慶安郷帳に村名がみえ、田一六石余・畑六五石余で幕府領。寛文四年(一六六四)の武蔵岩槻藩領知目録に村名が記載される。貞享三年(一六八六)の岩槻藩領郷村高帳(長野県上田市立博物館蔵)によれば高九〇石余。元禄郷帳では下総関宿藩領。改革組合村では旗本土岐領で家数九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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