デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊竹古靱太夫」の解説 豊竹古靱太夫(初代) とよたけ-こうつぼだゆう 1827-1878 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。文政10年1月15日生まれ。大坂の人。義太夫節の初代豊竹靱太夫の弟子。豆太夫,靱小太夫,2代靱太夫をへて明治3年古靱太夫を名のる。2代竹本越路(こしじ)太夫(摂津大掾(せっつのだいじょう))とならび称されたが,明治11年2月24日芝居の千秋楽の日に大道具の棟梁(とうりょう)梶徳に殺された。52歳。本名は木村弥七。 豊竹古靱太夫(2代) とよたけ-こうつぼだゆう ⇒豊竹山城少掾(とよたけ-やましろのしょうじょう) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の豊竹古靱太夫の言及 【豊竹山城少掾】より …東京出身。幼時に歌舞伎の子役を勤めたがのちに5世竹本津賀太夫に入門して小津賀太夫を名のり,1889年大阪へ行き2世竹本津太夫に入門,津葉芽太夫(つばめだゆう)となり,1909年2世豊竹古靱太夫(こうつぼだゆう)を襲名,42年3世竹本津太夫のあとを受けて文楽座櫓下となる。47年秩父宮家より受領して豊竹山城少掾藤原重房を名のった。… ※「豊竹古靱太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by