太夫(読み)たゆう

改訂新版 世界大百科事典 「太夫」の意味・わかりやすい解説

太夫 (たゆう)

一部芸能者の称号大夫とも書く。元来は中国における五位にならって,日本でも五位の官人が芸能・儀式をとりしきるならわしが古代にあった。五節舞(ごせちのまい)や踏歌(とうか)の舞妓を率いる役を〈楽前(がくぜん)の大夫〉と称し,太でなく大の字を用いた。さらに神事をつかさどる者を宮太夫・太夫様と呼んだところから,伊勢神宮や諸国の御師おし)をも太夫と称し,獅子舞などの神楽芸をおこなう者も太夫号を用いることとなった。猿楽(能)の大夫というのも,こうした社寺の芸能奉仕をする神事舞(じんじまい)太夫からでたと考えられる。能大夫は観世,金春,宝生金剛の四座家元を指し,ひいてはシテを勤める者をも大夫と呼んだ。ただし江戸時代に新しく成立した喜多流では,家元を称して大夫とは言わない。

 近世邦楽では浄瑠璃語り手をふつう太夫と称した。古浄瑠璃時代には伊勢島宮内,岡本文弥,道具屋吉左衛門,表具屋又四郎,虎屋永閑など太夫号を名乗らぬ例も少なくなかったが,しだいに一般化していった。もっとも,太夫のうちには加賀掾,筑後掾,越前少掾のように,受領(ずりよう)して掾(じよう)号を名乗る場合もあった。なお,ふつうは何某太夫(だゆう)と濁って発音するが,2音節にかぎり政太夫(まさたゆう)というふうに澄んでいう。また,現在の文楽では大夫とチョボを打たずに書き,歌舞伎の竹本の太夫と区別している。そして,太夫,三味線人形遣いの三業中,語り手はもっとも強い指導力と責任をもって,紋下も太夫が勤めてきた歴史からもわかるように,太夫はたんなる称号というよりも,尊称であった。これは能や他の芸能にもあてはまることである。義太夫以外でも,常磐津,清元,新内など諸浄瑠璃の語り手は,一部例外者や,掾,翁,斎,軒などを除き,一般に太夫号を用いる。また,どの分野にかぎらず,太夫は男性の称号であって,女流演奏者には用いない。

 浄瑠璃以外では,歌舞伎の女方の長を太夫と呼ぶが,これは初期の遊女歌舞伎時代に,格式の高い遊女を太夫と尊称したことから発した伝統をうけついだものである。ひいては,遊女の抱え主がその興行を監督したところから,歌舞伎芝居の元締めにあたる者を太夫元といった。また江戸時代後期になると,万歳の太夫と才蔵,猿回しの太夫など大道芸,門付(かどづけ)芸のたぐい,さらには見世物芸の動物さえも太夫と称するようになった。
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太夫 (たゆう)

遊女の最高位を示す階級名。京都島原で使い始めたといわれ,大坂新町,江戸吉原,長崎丸山などの大遊郭には太夫の遊女がいた。官位名たる太夫がなぜ遊女に用いられるようになったかについては,初期女歌舞伎と遊女との関係から芸能者の称号が流用されたとか,その他諸説があるが確定できない。太夫は,容色が美しいだけでなく,芸能,文学,遊戯,茶道などの広い範囲にわたる高い教養を備えることを要求された。このため,かむろ(禿)の時代から厳重に仕込まれ,新造(または引舟(ひきふね)),天神と順次に昇進するうちに選びぬかれる。かむろ1000人中で太夫に達するのは3~5人ともいわれ,元禄ごろで遊女100人に対し太夫は2~4人であった。支障があれば降格させて,太夫の権威を守った。太夫には,かむろ,新造らの専属部下がつき,揚代(あげだい)は1昼夜で銀74匁(元禄ごろ)であったが,遊興には揚屋を使うのが条件とされ,1夜に10両を要したという。
遊女
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太夫」の意味・わかりやすい解説

太夫
たゆう

ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称。大夫とも書く。元来は中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称である。古代に、五位の者が儀式およびそれに伴う芸能をつかさどったことから、転じて、神事芸能を奉仕する神職や芸能人の称となった。神事舞太夫、猿楽(さるがく)の太夫、幸若(こうわか)・説経・義太夫節などの語り手、常磐津(ときわず)・富本(とみもと)・清元(きよもと)・新内(しんない)など豊後浄瑠璃(ぶんごじょうるり)の語り手、さらに歌舞伎(かぶき)の女方(おんながた)や大道芸人(万歳(まんざい)・猿回し・鳥追い・軽業(かるわざ)・放下(ほうか)師など)にも太夫の称を名のる者があった。

 歌舞伎の立女方(たておやま)を太夫というのは、初期の遊女歌舞伎のスターが、先行の幸若舞太夫や女猿楽の太夫から引き継いだ称と考えられるが、これと遊女を太夫とよぶこととの影響関係ははっきりしない。また、初期の座元(本)は俳優たる太夫たちをまとめる役だったことから太夫元とよばれて尊敬され、その子供は若太夫の名で特別に扱われた。

[服部幸雄]

 太夫は、近世の遊廓(ゆうかく)において遊女の最上の階級名として使われた。名のおこりは、女歌舞伎(かぶき)の称号を起源とすれば慶長(けいちょう)期(1596~1615)となるが、太夫の官位名を使った理由とともに詳細は不明。上職(じょうしょく)、松(まつ)の位(くらい)ともいう。太夫は容色に優れているほか、芸能、文学、遊戯、茶道などの教養を積み、理想的な女性として仕立てられた。禿(かむろ)の修業を経た「禿立(だ)ち」を最良としたが、時代とともに質は低下した。太夫は京、大坂、江戸、長崎などの大遊廓のみにおり、遊興には揚屋(あげや)を利用する規則であった。なお、江戸・新吉原では太夫の名は宝暦(ほうれき)(1751~64)ごろに絶えた。

[原島陽一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太夫」の意味・わかりやすい解説

太夫
たゆう

芸能人および遊女に対する称号または敬称。本来は朝廷の五位の通称であったが,古代この位の者が儀式や芸能を司ったことから,神事や祭りの司会者をいい,さらに神職をさすようになった。猿楽でも太夫という名称が用いられたのは神事に奉仕するという意であったし,能でも江戸時代には敬称の意を含めて喜多流以外の観世,金春,宝生,金剛の4座の家元を太夫と称した。浄瑠璃およびその系統の富本,常磐津,清元,新内の語り手を太夫といい,名前にも掾 (じょう) 号以外は何々太夫と名のる。ただし最近では文楽の太夫は「太」の字を用いず「大夫」と書く。歌舞伎では女方の最高位の者を太夫と敬称し,また芝居興行の責任者を太夫元という。近世後期には門付 (かどづけ) 芸や見世物の芸人も太夫と呼ばれる。また最高級の遊女にも太夫が用いられた。

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百科事典マイペディア 「太夫」の意味・わかりやすい解説

太夫【たゆう】

邦楽用語。能,説経節,浄瑠璃などで使われる。能ではシテの尊称として使われたが,今は使わない。浄瑠璃では,語り手を太夫といい,芸名に太夫が付く(女性には付けない)。文楽では字を〈大夫〉と改めている。
→関連項目岡本文弥

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世界大百科事典(旧版)内の太夫の言及

【義太夫節】より

…日本古典音楽の種目。竹本義太夫が創始した浄瑠璃の流派。人形芝居の音楽として17世紀後半に成立し,幕末期以後は文楽人形浄瑠璃の音楽として,ひろく親しまれてきた。…

【才蔵】より

…雑芸人の名称。千秋万歳(せんずまんざい)や万歳はふつう2人一組で演じられ,一方を太夫,一方を才蔵と称する。万歳は太夫と才蔵の掛合が基本で,太夫は烏帽子,直垂(ひたたれ)(または素襖(すおう))姿,才蔵は投頭巾(ずきん)(大黒頭巾)に裁着(たつつけ)姿が一般的である。…

【万歳】より

… 民俗芸能として地域に残るのは〈尾張万歳〉〈越前万歳〉〈伊予万歳〉などで,〈三河万歳〉〈秋田万歳〉〈加賀万歳〉〈会津万歳〉〈豊後万歳〉は衰微し,〈大和万歳〉〈仙台万歳〉〈津島万歳〉〈伊六万歳〉,沖縄の〈京太郎(ちよんだらあ)〉は廃絶した(京太郎の芸系をひく民俗芸能は現存する)。 万歳は一般には太夫と才蔵の2人が一組になり,太夫が扇をかざし,いろいろとめでたい寿詞(ほぎごと)を言い立て,才蔵が小鼓を打ち囃して合の手を入れる掛合いで進行する。才蔵が複数のこともある。…

【櫓下】より

…劇場表の櫓の下に姓名を大書した看板を掲げたのに由来する。原則的に太夫の最高の人が座員に推薦されて就任,舞台に関して絶対的な権限をもった。とくに三味線,人形の代表を加えて複数の櫓下を置いたこともある。…

【太夫】より

五節舞(ごせちのまい)や踏歌(とうか)の舞妓を率いる役を〈楽前(がくぜん)の大夫〉と称し,太でなく大の字を用いた。さらに神事をつかさどる者を宮太夫・太夫様と呼んだところから,伊勢神宮や諸国の御師(おし)をも太夫と称し,獅子舞などの神楽芸をおこなう者も太夫号を用いることとなった。猿楽(能)の大夫というのも,こうした社寺の芸能奉仕をする神事舞(じんじまい)太夫からでたと考えられる。…

※「太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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