コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

豊竹山城少掾 とよたけやましろのしょうじょう

7件 の用語解説(豊竹山城少掾の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

豊竹山城少掾
とよたけやましろのしょうじょう

[生]1878.12.15. 東京
[没]1967.4.22. 京都
義太夫節の太夫。本名金杉弥太郎。2世竹本津太夫の門弟。津葉芽太夫から 1909年2世豊竹古靭 (こうつぼ) 太夫を襲名。相三味線3世鶴沢清六の薫陶を受け,その没後 49年まで4世清六を相三味線とした。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

とよたけ‐やましろのしょうじょう〔‐やましろのセウじよう〕【豊竹山城少掾】

[1878~1967]義太夫節の太夫。東京の生まれ。本名、金杉弥太郎。前名、古靭(こうつぼ)太夫。秩父宮家から山城少掾を受領。義太夫節の古格を守りつつ、近代的芸風を確立。「熊谷陣屋」「道明寺」などを得意とした。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

豊竹山城少掾【とよたけやましろのしょうじょう】

義太夫節演奏家。本名金杉弥太郎。東京に生まれ,歌舞伎俳優を志したが,文楽上演に接して志をかえ,1889年大阪へ移住,2世竹本津太夫に師事。1955年人間国宝に指定され,戦後の文楽界の第一人者であった。
→関連項目鶴沢清六

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

豊竹山城少掾 とよたけ-やましろのしょうじょう

1878-1967 明治-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明治11年12月15日生まれ。義太夫節の2代竹本津太夫に入門,竹本津葉芽太夫(つばめだゆう)を名のる。明治42年2代豊竹古靱太夫(こうつぼだゆう)を襲名。相三味線3代鶴沢清六の薫陶をうけ,のち4代清六とコンビをくむ。昭和17年文楽座の櫓下(やぐらした)。22年山城少掾を受領。同年芸術院会員。30年人間国宝。35年文化功労者。昭和42年4月22日死去。88歳。東京出身。本名は金杉弥太郎。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

とよたけやましろのしょうじょう【豊竹山城少掾】

1878‐1967(明治11‐昭和42)
義太夫節の太夫。本名金杉弥太郎。東京出身。幼時に歌舞伎の子役を勤めたがのちに5世竹本津賀太夫に入門して小津賀太夫を名のり,1889年大阪へ行き2世竹本津太夫に入門,津葉芽太夫(つばめだゆう)となり,1909年2世豊竹古靱太夫(こうつぼだゆう)を襲名,42年3世竹本津太夫のあとを受けて文楽座櫓下となる。47年秩父宮家より受領して豊竹山城少掾藤原重房を名のった。59年高齢のため引退。小音で非力な弱点を明確な口さばきと巧みな音遣いでカバーし,登場人物の克明な心理描写や行き届いた詞章の解釈によってリアリティに富んだ独特の語り口を完成,義太夫節の近代化を果たした。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

とよたけやましろしょうじょう【豊竹山城少掾】

1878~1967) 昭和期の義太夫節の太夫。東京浅草生まれ。本名、金杉弥太郎。二世竹本津太夫の門弟。前名、豊竹古靭こうつぼ太夫(二世)。1947年(昭和22)受領して山城少掾藤原重房を名乗る。人物の心理や情景の描写など、透徹した作品解釈により当代随一の名人とうたわれた。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

豊竹山城少掾
とよたけやましろのしょうじょう
(1878―1967)

義太夫(ぎだゆう)節の太夫。昭和を代表する名人。東京・浅草の生まれで、本名は金杉弥太郎。1889年(明治22)大阪へ出て2世竹本津太夫に入門し、竹本津葉芽(つばめ)太夫を名のって文楽(ぶんらく)座へ出座した。1909年(明治42)に2世豊竹古靭(こうつぼ)太夫を襲名、3世鶴沢清六(せいろく)を相三味線に厳しい指導を受ける。昭和初期には、3世竹本津太夫や6世竹本土佐太夫とともに三巨頭時代を築いた。津太夫没後の42年(昭和17)に文楽座の櫓下(やぐらした)となり、また47年には秩父(ちちぶ)宮家から豊竹山城少掾藤原重房の掾号を受けた。46年に芸術院会員、55年に重要無形文化財保持者に認定、60年には文化功労者となる。非力と悪声を詞(ことば)と音遣(おんづか)いによって克服し、59年に引退するまで、登場人物の心理や情景の描写に努めた。理知的で写実的な語り口は「山城風(ふう)」と賞賛された。『熊谷陣屋(くまがいじんや)』『合邦(がっぽう)』『堀川』のほか、気品を必要とする『二月堂』や『道明寺(どうみょうじ)』は絶品であった。昭和42年4月22日没。[倉田喜弘]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

豊竹山城少掾の関連キーワード義太夫語り義太夫三味線義太夫本豊竹竹本小清竹本重之助(2代)竹本弥太夫(初代)竹本弥太夫(2代)竹本弥太夫(3代)豊竹駒太夫(5代)

今日のキーワード

信長協奏曲(コンツェルト)

石井あゆみによる漫画作品。戦国時代にタイムスリップした現代の高校生が病弱な織田信長の身代わりとして生きていく姿を描く。『ゲッサン』2009年第1号から連載開始。小学館ゲッサン少年サンデーコミックス既刊...

続きを読む

コトバンク for iPhone

豊竹山城少掾の関連情報