豊竹応律(読み)とよたけ おうりつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊竹応律」の解説

豊竹応律 とよたけ-おうりつ

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)・歌舞伎作者
豊竹越前少掾(えちぜんのしょうじょう)の子。野田碁文(ごぶん),並木宗輔(そうすけ)にまなぶ。はじめ歌舞伎作者として出発。宝暦元年(1751)大坂豊竹座の作者となり,のちに同座の芝居主兼任。天明5-6年(1785-86)ごろ没したという。初名は野田文六。前名は野田甚六,豊竹甚六。合作に「一谷嫩(いちのたにふたば)軍記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の豊竹応律の言及

【祇園祭礼信仰記】より

…5段。中邑阿契(なかむらあけい)・豊竹応律・黒蔵主・三津飲子・浅田一鳥による合作。1757年(宝暦7)12月5日から大坂豊竹座で初演。…

【岸姫松轡鑑】より

…通称《岸姫》。豊竹応律,若竹笛躬,福松藤助,浅田一鳥,黒蔵主,並木永輔の合作。1762年(宝暦12)閏4月大坂豊竹座初演。…

【艶容女舞衣】より

…1772年(安永1)12月大坂豊竹座初演。竹本三郎兵衛,豊竹応律,八民(やたみ)平七の合作。上中下3巻の世話物。…

【義経腰越状】より

…本作の粉本は並木宗輔の《南蛮鉄後藤目貫(なんばんてつごとうのめぬき)》(1735年2月豊竹座)で,それを改作した《義経新含状(よしつねしんふくみじよう)》(1744年3月江戸肥前座)をさらに改作したのが本作。1770年(明和7),大坂北堀江座で再演のおりに豊竹応律が四段目を書き直したのが現行5段本。歌舞伎化は1761年(宝暦11)12月大坂天満天神社内芝居。…

※「豊竹応律」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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