朝日日本歴史人物事典 「豊竹応律」の解説
豊竹応律
江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎狂言作者。豊竹越前少掾の子。初名野田文六,野田甚六。野田碁文(五文)と並木宗輔に師事。のちに豊竹座の経営にも深くかかわり,芝居主をも勤めた。元文初めに大坂の歌舞伎作者となり,「婚門出八島」などの作がある。宝暦1(1751)年に豊竹座の作者となり,「一谷嫩軍記」を合作し豊竹甚六となり,同6年「義仲勲功記」以後,豊竹応律として「祇園祭礼信仰記」「人丸万歳台」「岸姫松轡鑑」「艶容女舞衣」「讃州屏風浦」ほか多くの合作を残している。安永末(1781)年ごろまで浄瑠璃作者として活躍。晩年には歌舞伎作者をも兼ねた。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1』
(山田和人)
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