豊竹 駒太夫(7代目)(読み)トヨタケ コマタユウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「豊竹 駒太夫(7代目)」の解説

豊竹 駒太夫(7代目)
トヨタケ コマタユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

本名
辻田 万蔵

別名
前名=豊竹 小富太夫,豊竹 富太夫(4代目)

生年月日
明治15年 2月20日

出生地
大阪

経歴
幼少で失明、地歌を習ったが、明治20年3代目豊竹富太夫(6代目駒太夫)の門に入り、小富太夫を名乗った。師匠上京で豊沢松太郎らにけいこを受け、31年2代目竹本津太夫の預かり弟子として御霊文楽座で初舞台。35年4代目富太夫、大正3年7代駒太夫を襲名。「国性爺」の楼門、「忠臣蔵」の身売り、「昔八丈」の鈴ケ森など立端場の名手といわれた。

没年月日
昭和16年 3月31日 (1941年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「豊竹 駒太夫(7代目)」の解説

豊竹 駒太夫(7代目)
トヨタケ コマタユウ

明治〜昭和期の義太夫節太夫(文楽)



生年
明治15(1882)年2月20日

没年
昭和16(1941)年3月31日

出生地
大阪

本名
辻田 万蔵

別名
前名=豊竹 小富太夫,豊竹 富太夫(4代目)

経歴
幼少で失明、地唄を習ったが、明治20年3代豊竹富太夫(6代駒太夫)の門に入り、小富太夫を名乗った。師匠の上京で野沢松太郎らにけいこを受け、31年2代竹本津太夫の預かり弟子として御霊文楽座で初舞台。35年4代富太夫、大正3年7代駒太夫を襲名。「国性爺」の楼門、「忠臣蔵」の身売り、「昔八丈」の鈴ケ森など立端場の名手といわれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報