貝塚新田(読み)かいづかしんでん

日本歴史地名大系 「貝塚新田」の解説

貝塚新田
かいづかしんでん

[現在地名]亀田町貝塚・船戸山ふなとやま四丁目・もと町二―五丁目・荻曾根おぎそね一―二丁目

亀田町新田の南西に接し、土師器須恵器の破片採取記録もあり域内全体が遺物包含地である。慶長年間(一五九六―一六一五)村木七之助(善右衛門)なる者が大坂から城山じようやまに来住、元和二年(一六一六)当地に移り開拓を進めたという(中蒲原郡誌)。村木家過去帳によれば寛永一三年(一六三六)七右衛門が許可を受けて開発を始め、開発の完了とともに肝煎に任ぜられたという(亀田町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む