日本歴史地名大系 「中蒲原郡」の解説 中蒲原郡なかかんばらぐん 面積:三一一・二〇平方キロ村松(むらまつ)町・小須戸(こすど)町・横越(よこごし)村・亀田(かめだ)町県央の越後平野に東は阿賀野川、西は信濃川に挟まれる地に位置する。三町一村の飛地町村からなり、北に亀田町・横越村があり、新津市を挟んでその南に小須戸町、五泉市と南蒲原郡田上(たがみ)町を中にしてその東南に村松町がある。東・南の蒲原郡と境する村松町の東半が標高一〇〇〇メートル級の山地をなすほかは、阿賀野川や信濃川沿いの低湿な土地である。亀田町は古くは海岸に面し、古砂丘の一部が点在する。〔原始〕縄文時代の遺跡は、五泉市大蔵(おおくら)をはじめ、早出(はいで)川水系の村松町矢津(やづ)・五泉市菅出薬師平(すがいでやくしだいら)と能代(のうだい)川水系には村松町安出(やすいで)・上野(うえの)や東山丘陵西側の小須戸町矢代田(やしろだ)の台地などに分布するほか、古砂丘列のある亀田町砂崩(すなくずれ)・城山(じようやま)などにも縄文中・後期の遺跡が出土している。また東山丘陵西側の新津市古津(ふるつ)、東側の村松町寺田(てらだ)や古砂丘列の横越村駒込(こまごみ)に弥生遺跡が散在している。亀田町の砂丘や村松町寺田・横越村小杉(こすぎ)・小須戸町矢代田には奈良―平安期にかけての土師器や須恵器の破片が散在している。〔古代・中世〕越後国七郡のうち蒲原(かむはら)郡に属した。「和名抄」の蒲原郡五郷のうち日置(ひおき)・青海(あおみ)の二郷が郡内に比定され、各郷域に関しては諸説ある。村松町の別所(べつしよ)・下戸倉(しもとぐら)・上戸倉に大彦命を祀る古志王(こしのう)社がある。神社がいずれも北向きであることから北方拓進の守護神といわれる。阿賀野川沿いに越の文化が会津に入ったという考えもあり、「古事記」に越に派遣された大彦命が武渟川別と会津で行きあったという物語を載せる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by