朝日日本歴史人物事典 「賀々女」の解説
賀々女
南北朝・室町時代初期,紺染の触媒に使う 紺灰商売の京都での営業独占権を持った大商人のひとり。加々女とも。長坂口紺灰座は4流あり,そのひとつがこの賀々女流といわれている。おそらく京都の紺灰商売の4分の1の独占権を持っていたものと推定される。紺灰は丹波栗の木灰が最も良質といわれるが,その木灰を丹波の商人が運んでくるのを長坂口で受け取り,京都の染物業者に売る紺灰商売を貞治4/正平20(1365)年に相続して,他商人の売買を禁じるという,本所の掃部頭中原師胤などの御教書を得ている。応永16(1409)年にその権利を「としより候により」娘のねね女に譲っている。44年間もの間,商売をしていたことがわかる。ねね女(法名ちゃうしん)の夫ちゃうけんは,佐野又三郎重隆の曾祖父である。佐野家は京都の豪商で寛永文化人の灰屋紹由・紹益の家であり,その豪富は,賀々女,ねね女の紺灰商売で築かれたといってよい。<参考文献>脇田晴子『日本中世商業発達史の研究』
(脇田晴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報