赤井谷村(読み)あかいだにむら

日本歴史地名大系 「赤井谷村」の解説

赤井谷村
あかいだにむら

[現在地名]織田町赤井谷

織田村の北方山麓にあり、北東山田やまだ村。承元二年(一二〇八)七月二〇日付公文・郡代司寄進状(越知神社文書)に寄進地の四至を示して「南限古坂山赤井谷織田境」とみえ、越知山おちさん大権現(現朝日町)領に接してはいるが、つるぎ大明神領に含まれていた。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「大田庄」に含まれる。正保郷帳に村名がみえ田方二六四石余・畠方七四石余。正保二年(一六四五)より享保六年(一七二一)までの松岡藩領以外は福井藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android