赤坂氷川社僧屋敷(読み)あかさかひかわしやそうやしき

日本歴史地名大系 「赤坂氷川社僧屋敷」の解説

赤坂氷川社僧屋敷
あかさかひかわしやそうやしき

[現在地名]港区赤坂六丁目

氷川明神社地の道を隔てた東にある片側町。東と南が陸奥泉藩本多家下屋敷、北が幕臣邸。文政町方書上によると、元文二年(一七三七)明地であった場所へ氷川明神の社僧五人が願って拝領、宝暦五年(一七五五)一〇ヵ年季の町家作になり、同八年南に続く明地に一〇ヵ年季の町家作を許された。表南北は表・裏幅とも田舎間三〇間、裏行は東西同一〇間、三〇〇坪。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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