赤木 桁平
アカギ コウヘイ
大正・昭和期の評論家,政治家 衆院議員;文部参与官。
- 生年
- 明治24(1891)年2月9日
- 没年
- 昭和24(1949)年12月10日
- 出生地
- 岡山県
- 本名
- 池崎 忠孝(イケザキ タダタカ)
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法科大学独法科卒
- 経歴
- 大正元年「鈴木三重吉論」を、2年に「夏目漱石論」を発表して評論家として注目される。5年発表の「『遊蕩文学』の撲滅」は論争にまでなった。5年「芸術上の理想主義」を、6年「夏目漱石」「近代人の諸象」を、7年「人及び思想家としての高山樗牛」を刊行。以後実業界、政界に転じ、米英排撃の国家主義的論著を発表。昭和5年刊行の「亡友芥川龍之介への告別」が最後の文芸評論となった。11年大阪3区より衆院議員に3選。第1次近衛内閣の文部参与官、大政翼賛会参与等を歴任した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
赤木 桁平
アカギ コウヘイ
- 肩書
- 衆院議員,文部参与官
- 本名
- 池崎 忠孝(イケザキ タダタカ)
- 生年月日
- 明治24年2月9日
- 出生地
- 岡山県
- 学歴
- 東京帝大法科大学独法科卒
- 経歴
- 大正元年「鈴木三重吉論」を、2年に「夏目漱石論」を発表して評論家として注目される。5年発表の「『遊蕩文学』の撲滅」は論争にまでなった。5年「芸術上の理想主義」を、6年「夏目漱石」「近代人の諸象」を、7年「人及び思想家としての高山樗牛」を刊行。以後実業界、政界に転じ、米英排撃の国家主義的論著を発表。昭和5年刊行の「亡友芥川龍之介への告別」が最後の文芸評論となった。11年大阪3区より衆院議員に3選。第1次近衛内閣の文部参与官、大政翼賛会参与等を歴任した。
- 没年月日
- 昭和24年12月10日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
赤木桁平 あかぎ-こうへい
1891-1949 大正-昭和時代の評論家,政治家。
明治24年2月9日生まれ。東京帝大在学中夏目漱石(そうせき)に師事し,吉井勇らを批判した文芸評論「遊蕩(ゆうとう)文学の撲滅」などを発表する。「万(よろず)朝報」論説部員をへて,昭和11年衆議院議員(当選3回)。昭和24年12月10日死去。59歳。岡山県出身。本名は池崎忠孝。著作に「夏目漱石」「太平洋戦略論」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
赤木 桁平 (あかぎ こうへい)
生年月日:1891年2月9日
大正時代;昭和時代の評論家;政治家。衆議院議員
1949年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報