日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤道アフリカ」の意味・わかりやすい解説
赤道アフリカ
せきどうあふりか
Equatorial Africa
かつてアフリカの中西部の赤道付近に存在したフランス植民地の総称。フランス領赤道アフリカともいう。現在の国名でいえば、チャド、中央アフリカ共和国(当時はウバンギ・シャリ)、ガボン、コンゴ(ガボンとともに当時は中央コンゴ)が含まれる。これら広域の植民地を連合するものとして1910年に編成され、その総督府はコンゴのブラザビルに置かれた。第一次世界大戦後、ドイツ領であったカメルーンを占領したフランスは、その東部を国際連盟の委任統治領として治め、フランス領カメルーンとして赤道アフリカに組み込んだ。第二次大戦後フランス海外領となり、1958年、フランス第五共和政をめぐる住民投票によって自治共和国となった。以後アフリカにおける民族主義運動が活発になり、アフリカの年といわれる1960年にそれぞれ独立を果たして今日に至っている。独立後、これらの諸国はすべてフランス通貨圏に属し、中部アフリカ経済・関税同盟(UDEAC)を結成し、共通通貨CFAフランをもとにして、域内の関税障壁の除去、工業化計画、開発計画、投資法の調整などで協力している。
[赤阪 賢]