コンゴ(読み)こんご(その他表記)Congo

翻訳|Congo

共同通信ニュース用語解説 「コンゴ」の解説

コンゴ

アフリカ中央部の国でコンゴ民主共和国ともいう。隣国のコンゴ共和国とは別。面積はアフリカ大陸で2位、人口ではナイジェリアエチオピアエジプトに次ぐ4位。ダイヤモンドコバルトタンタルなどの鉱物資源を豊富に産出。コンゴ川流域にある広大な熱帯林からの森林関連製品の産出も多いが、これらの天然資源を巡る紛争が長期間にわたって続き、治安が悪化。深刻な貧困が続き、最貧国の一つとされる。日本には、木材産品、コーヒー、魚介類などを輸出している。

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コンゴ(旧ザイール)

アフリカ大陸中央部に位置する人口約7970万人の国家。国土面積は日本の約6倍。1960年にベルギーから独立。モブツ大統領(当時)の独裁体制が続いた。政権崩壊後の97年、国名をザイールから現在のコンゴ民主共和国に戻した。世界5位の銅生産(2015年)をはじめ資源大国だが、汚職監視の非政府組織(NGO)によると「清潔度」を示すランキングは世界156位(16年)。1人当たりの国民総所得は410ドル(15年)で世界最貧国の一つ。(共同)

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精選版 日本国語大辞典 「コンゴ」の意味・読み・例文・類語

コンゴ

  1. ( Congo )
  2. [ 一 ]コンゴきょうわこく(━共和国)」の略。
  3. [ 二 ]コンゴみんしゅきょうわこく(━民主共和国)」の略。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンゴ」の意味・わかりやすい解説

コンゴ
こんご
Congo

アフリカ中西部、コンゴ川流域のコンゴ盆地を中心とする地方。かつてコンゴ王国が栄えたが、その後ベルギー、フランス、ポルトガルが分割して植民地を形成した。現在フランス領コンゴはコンゴ共和国、ベルギー領コンゴはコンゴ民主共和国となり、ポルトガル領はアンゴラに属している。

 コンゴ地方が世界史に登場するのは、コンゴ川河口にヨーロッパ人が到達した15世紀にさかのぼる。大航海時代初期の1482年にポルトガルの航海者ディオゴ・カンがコンゴ川の河口を発見し、その名をヌゼレ(すべてを飲み込む川)と記した。この河口一帯の地域に居住していた住民はコンゴ人であり、当時すでにマニコンゴとよばれる王が支配するコンゴ王国を形成していた。続いてバルトロメウ・ディアスがコンゴ川河口に寄航し、コンゴ王国の使節をポルトガルに送った。当時のコンゴ王国の領土は、北は現在のガボンのオゴウエ川、東はコンゴ民主共和国のバテレ高原とクリンゴ川、南はアンゴラのクアンザ川でくぎられる約50万平方キロメートルに及ぶ広大なもので、400万~500万の人口を抱える大国であった。コンゴ王は当時のヨーロッパ諸王国の君主にも匹敵するような中央権力を行使し、整備された行政組織で王国を支配していた。しかし、その後はポルトガル人をはじめとするヨーロッパ人の奴隷貿易の供給地となり、数百万人の奴隷がアメリカ大陸に運ばれた。一方、大西洋岸沿いには、ヨーロッパ人の奴隷狩りに手を貸し、通商で銃器を得たロアンゴ、カコンゴ、ヌゴイオなどの小王国が形成された。

 ヨーロッパ列強によるアフリカ分割の時期に、コンゴ地方の植民地化のきっかけとなったのは、探検家スタンリーであった。スタンリーは、当時のアフリカ探検の最大のテーマであったナイル川の水源問題を明らかにするため、1874年にインド洋岸のザンジバルからコンゴ川の上流地域に足を踏み入れ、コンゴ川を下り、河口までを踏査し、大西洋に出た。この探検に関心を寄せたベルギー王国のレオポルド2世は、このコンゴ川流域地方を自国の植民地とする野心をもった。彼は国際アフリカ協会を設立し、それを隠れ蓑(みの)にしてコンゴ川開発計画をスタンリーの手にゆだねた。スタンリーはコンゴ川の遡航(そこう)を妨げるリビングストン滝を迂回(うかい)する道路をつくり、さらにスタンリー・プールの上流に進み、スタンリー滝の下流に基地を建設した。こうしてコンゴ川の左岸全域を確保し、レオポルド2世の野望に確固たる基礎を築いた。一方、フランスの海軍士官ド・ブラザは、ガボンのオゴウエ川から探検を開始、コンゴ川の流域に入った。1880年9月ド・ブラザはコンゴ川右岸のムベ(いまのブラザビル)に達し、その地方を治める首長マココと条約を締結した。これが、コンゴ川北岸地方のフランスの足場を築き上げ、そののちフランス領赤道アフリカの植民地建設の基礎となった。1884~85年に開かれたベルリン会議の結果、コンゴ川右岸の67万平方キロメートルはフランス、コンゴ川下流左岸一帯の91万平方キロメートルはポルトガルの主権が承認された。残りの259万平方キロメートルはコンゴ独立国(コンゴ自由国)の名目でレオポルド2世にゆだねられたが、レオポルド一個人が莫大(ばくだい)なコンゴの富を略奪することに国際世論の批判が高まり、1908年ベルギー領となった。

 1902年に発行されたイギリスの小説家ジョセフ・コンラッドの『闇(やみ)の奥』は、恐怖と不安の場所というコンゴ観を広めた。そして1960年のベルギー領コンゴの独立に際して勃発(ぼっぱつ)したコンゴ動乱は、ふたたびコンゴの名前に「血なまぐさい暴力」「野蛮」「暗黒」などの神話を付け加えた。しかしコンゴは、アフリカの伝統文化の宝庫である。この地方のバントゥー系諸族は、金や鉄、銅などの金属の採鉱や冶金(やきん)の技術を開発し、実用的な武器や道具、装飾品や彫像などの工芸を発達させた。アフリカでも、もっともみごとな仮面や彫像などを生み出す地方の一つである。またラフィアヤシの繊維を織り上げ、樹皮をたたいて布をつくり、つるや植物繊維で籠(かご)やざるなどを細工した。象牙(ぞうげ)やカバの牙(きば)などを彫刻し、木製の彫像や道具なども製造した。こうした物質文化の背後には豊かな精神文化が根づいている。たとえば、ルバ人の宗教、世界観を明らかにしたタンペル神父は、「力は存在であり、存在は力である」という生ける力の観念を取り出して、その著書を『バントゥー哲学』と題している。アフリカの彫刻はその表現性によって、ヨーロッパ美術に強烈な衝撃を与えたが、これらの仮面や神像、祖先像は集団を守護する祖先の神秘力を造形したものであり、舞踏もまた神秘的な力を招来する表現である。コンゴはまたアフリカ音楽でも特別の地位を保っている。コンゴ・ジャズと称されたアップテンポの音楽は、リンガラ・ミュージックとよびかえられて、東アフリカやカメルーン、ナイジェリアなどの人々に好まれ、世界中の音楽ファンをも魅了している。

[赤阪 賢]

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百科事典マイペディア 「コンゴ」の意味・わかりやすい解説

コンゴ[川]【コンゴ】

アフリカ中央部,赤道付近を流れるアフリカ第2の大河。コンゴ民主共和国(旧)内ではザイール川と呼ばれる。全長4667km。流域面積370万km2で,コンゴ盆地とほぼ重なる。ザンビア北部の山地に発するルアプラ川がルブア川となって,シャバ地方に発するルアラバ川に合流,さらに北流し,スタンリー滝を経てコンゴ本流となる。キサンガニから西流,ロマミ川を合わせてコンゴ盆地の大動脈をなし,南西に転じてウバンギ川,カサイ川を合わせキンシャサに至る。以後急流をなし,広大な河口部で大西洋に注ぐ。重要な交通路で,電源開発計画も進められている。流域には,14―19世紀ころ,河口付近から大西洋岸にロアンゴ王国やコンゴ王国,内陸のルアラバ川上流にはルバ王国,ルンダ王国などが栄えた。1482年ポルトガル人が河口に渡来。のちリビングストンが上流部,スタンリーが全流域を探検。
→関連項目アフリカコンゴ盆地条約ブラザリビングストン滝

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デジタル大辞泉プラス 「コンゴ」の解説

コンゴ

1995年製作のアメリカ映画。原題《Congo》。マイクル・クライトン『失われた黄金都市』の映画化。監督:フランク・マーシャル、出演:ディラン・ウォルシュ、ローラ・リニー、アーニー・ハドソン、ティム・カリーほか。

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改訂新版 世界大百科事典 「コンゴ」の意味・わかりやすい解説

コンゴ

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