経済的、政治的に利害関係の深い国々が単一的な経済地域を形成し、相互に関税の廃止または軽減に関する協定を結んで通商の自由を図るとともに、域外諸国に対しては共通の関税を課して差別するものを関税同盟という。この対外共通関税の有無によって関税同盟と自由貿易地域free trade areaとが区別される。また、関税同盟では域内における財の自由な移動に対する障壁を除去するが、さらに進んで労働、資本などの生産要素の移動に対するあらゆる制限を除去するのが共同市場common marketである。このように経済統合という観点からみると、関税同盟はその一つの形態または段階ということができる。
現在までに多くの関税同盟が結成されたが、これらの関税同盟の歴史をみると、政治的統一と密接に結び付いてきたことがわかる。その典型的な例が1834年に成立したドイツ関税同盟Deutscher Zollvereinである。
[相原 光・秋山憲治]
1814~15年のウィーン会議の結果、39に上る領邦国家がドイツ連邦を形成することになったが、これらの領邦国家はそれぞれ異なった関税制度を保持していたため、連邦内の貿易は多くの関税障壁によって身動きのできない状態であった。このような状態を打破するために、当時オーストリアと連邦の主導権を争っていたプロイセンは、1816年に自国内の関税障壁をすべて撤廃し、28年には北ドイツ関税同盟を、さらに34年にはオーストリアなど若干の地域を除く全ドイツ的なドイツ関税同盟を成立させた。この同盟のもとで、貨幣、為替(かわせ)、度量衡、交通制度などの統一と、対内関税の撤廃が行われ、その後の鉄道網の発展と相まって広範な国内市場が形成されることとなり、重工業を中核としたドイツ資本主義の本格的な発展の契機となった。一方、対外共通関税は、プロイセンの従来の関税を基準に決定され、輸入禁止的な高率の関税ではなかったが、国内産業の成長をある程度助けた。この同盟は、ドイツの経済的統一に重要な役割を果たすとともに、1871年のプロイセンによるドイツ帝国成立の基礎となったのである。
[相原 光・秋山憲治]
第一次世界大戦後いくつかの関税同盟が計画されたが、最恵国条項を盾にとったイギリスなどの反対にあって実現しなかった。第二次世界大戦後は、1947年に成立したオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの3か国によるベネルックス経済同盟、52年に設立されたフランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク6か国によるヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)なども関税同盟としての側面をもっていたが、関税同盟としての性格がもっとも強いものは、58年にECSCと同じ構成国によって結成されたヨーロッパ経済共同体(EEC)であった。しかしEECは単なる関税同盟にとどまらず、より進んだ経済統合を目ざすもので、67年にはECSC、ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM(ユーラトム))と統合されてヨーロッパ共同体(EC)となった。さらに73年にはイギリス、アイルランド、デンマーク3か国の加盟により拡大ECとなり、81年ギリシア、86年スペイン、ポルトガルを加え、93年マーストリヒト条約の発効とともにヨーロッパ連合(EU)となった。EU加盟国のうち、12か国で99年に単一通貨ユーロが非現金取引に導入され、2002年1月からユーロが現金として流通しはじめた。EUは通貨統合をなしとげ、完全なる経済統合に向かって進んでいる。
なお、関税同盟は、ガットおよびその後身のWTO(世界貿易機関)の基本理念の一つである無差別待遇と矛盾するものであるが、WTOは、域外諸国に対する差別的取扱いを同盟設立前よりも厳しくしないことなどという条件を付して、これを容認している(ガット24条)。
[相原 光・秋山憲治]
二つ以上の国家が共同の関税地域を設け,この地域内における関税その他の貿易制限を撤廃し,地域外の国家に対しては共通の関税率やその他の貿易規制を適用することを目的とする協定をいう。加盟国間の関税その他の貿易制限は撤廃するが,地域外への関税率等については各国が決定権を保持する場合を自由貿易地域free trade areaという。関税同盟に加えて,資本や労働移動の制限をも廃止したり,さらに金融政策・財政政策等に関しても加盟国間相互の調整を行う場合を,それぞれ共同市場,経済同盟という。関税同盟は,こうしたさまざまな経済統合の一形態である。関税同盟結成の効果としては,同盟国内の貿易を活発にする,いわゆる貿易創出効果と,域外諸国からの輸入を同盟国内からの輸入に転換する,いわゆる貿易転換効果がよく知られているが,それだけにとどまるものではない。古くは1834年に発足した〈ドイツ関税同盟〉が有名であり,71年ドイツ帝国成立の経済的基盤を形成したといわれる。その後ヨーロッパをはじめ世界各地で,多くの関税同盟が提案され結成されたが,いずれも小規模なものであった。世界経済に大きな影響をもつ関税同盟が発足するのは,第2次大戦後である。1952年には,フランス,西ドイツ,イタリア,オランダ,ベルギー,ルクセンブルクの6ヵ国によって,ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立され,58年までにはECSC内の鉄鋼関税は撤廃され対外関税の調整も完了する。それよりも以前の1948年に,オランダ,ベルギー,ルクセンブルクの3国によって結成された〈ベネルクス関税同盟〉は,58年には〈ベネルクス経済同盟〉に発展していった。ヨーロッパ経済共同体(EEC)は,これらをさらに拡大したものである。EECは一つの共同市場であり,関税同盟の条件はすべて満たされていた(ヨーロッパ共同体。現在は〈ヨーロッパ連合(EU)〉に統合されている)。EECに対抗して,イギリス,スウェーデン,デンマーク,オーストリア,ポルトガルは60年にヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を発足させたが,これは自由貿易地域にとどまるものであり関税同盟ではない。EECやEFTAに触発されて,それ以後,ラテン・アメリカ自由貿易連合(LAFTA),中米共同市場(CACM),アラブ共同市場(ACM),西アフリカ諸国経済共同体(ECWAS)等,世界各地に多くの経済統合が発足している。
執筆者:倉沢 資成
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統一的経済圏創出のための諸国同盟。プロイセンは1818年の関税法を基に,19年以来率先して近隣諸国との関税合同を推進,28年プロイセン‐ヘッセン関税同盟が成立。同年南ドイツ関税同盟,中部ドイツ通商同盟も成立したが,これらはプロイセンの主導下に統合され,34年ドイツ関税同盟が発足。同盟はしだいに加盟国をふやしてオーストリアを除く全ドイツを経済的に統一。関税収入は人口比率に従って加盟各国に配分。最初各国代表総会,67年以後は北ドイツ連邦機構にもとづく関税議会および関税同盟参議会が運営にあたったが,71年以後ドイツ帝国が業務を引き継いだ。
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…イギリスでは,1786年に英仏通商条約(イーデン条約)が結ばれ,1846年には保護貿易主義の核心であった穀物法が廃止されるとともに自由貿易時代へと突入する。すでに1834年にはドイツ関税同盟が成立しており,60年の英仏自由通商条約(コブデン=シュバリエ条約)以降,つぎつぎと通商条約,関税協定が結ばれ,ヨーロッパ各国へ貿易自由化の波が広がっていった。英仏自由通商条約は,最恵国条項(最恵国待遇)が採り入れられ,差別関税が防止された点でとくに重要である。…
…ただし,第三国に対する関税率に十分大きな差があれば,第三国は域内の関税率の最も低い国にまず輸出し,そののち域内の無関税を利用して,域内各国に再輸出することも可能で,各国の貿易政策上の障害ともなりうる。この対域外関税率をメンバー国間で統一すれば,それを関税同盟と呼び,自由貿易地域より一歩統合の進んだものとして区別される。 自由貿易地域の結成は一般に域内での貿易を増加させるが(貿易創出効果),場合によっては結成以前に存在していた第三国との貿易を減少させるおそれもある(貿易偏向効果)。…
※「関税同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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