アフリカ大陸の中央部に位置する内陸国。東はスーダンおよび南スーダン、北はチャド、西はカメルーン、南はコンゴ共和国およびコンゴ民主共和国の6か国と国境を接する。北の国境の一部はチャド湖に注ぐシャリ川(チャリ川)の上流アウク川からなり、また南の国境はコンゴ川の支流ウバンギ川で構成されていることから、独立以前のフランス領時代はウバンギ・シャリの名で知られていた。面積は62万2984平方キロメートル、人口372万(2000推計)、315万1072(2009センサス)。首都はバンギ。
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この国の地形的特色は国土の大半が高原台地だという点である。東西に延びる平均高度600~1000メートルの高原台地が、地形的には北のチャド湖盆と南のコンゴ盆地との分水嶺(ぶんすいれい)をなしている。したがって中央の高原台地の水系は、北部ではすべて北流してシャリ川、ロゴーヌ川に合流し、南部ではすべて南流してウバンギ川に注いでいる。ウバンギ川はコンゴ共和国のブラザビルと結ぶ重要な水運でもあり、河畔に立地した首都バンギからさらに上流のバンガスーまで船舶の航行が可能である。
気候的にはサバナ気候が支配的で、年平均気温は26℃に達するものの、降雨は雨期と乾期が明瞭(めいりょう)である。ただその期間は北から南に向かうほど雨期が長くなり、降水量も多くなる。南部では年降水量は1600ミリメートルに達するのに対して、北部では700ミリメートル程度である。その意味では中央アフリカの自然は、ちょうど北のサハラ砂漠に代表される乾燥気候と南のコンゴ盆地に代表される高温湿潤な熱帯多雨気候との漸移地帯にあたるといえる。したがって植生も北に向かうほど疎林が多くなり、南には熱帯森林もみられる。
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コンゴ盆地の北縁をなすこの地方は、古くから人口密度は低く、ウバンギ川流域には農耕民サンガやバンジリが居住し、南部の森林地帯には狩猟民が住んでいたようである。しかしこうした諸民族の歴史は明らかではない。現在この国の主要民族である西部のバヤ、中部のマンジャ、バンダ、東部のアザンデなどは、19世紀ごろに周辺の諸民族の移動に刺激されてこの地方に入ってきたと考えられている。これらの諸民族は、キャッサバ、トウモロコシ、モロコシなどを栽培する自給的農業を営む農耕民であった。19世紀末には、北のチャド方面からと南のコンゴ川をさかのぼってきたフランスが探検と占領を進めた。1889年にはバンギが前進基地として設けられ、1894年にはフランス領ウバンギ・シャリ植民地が成立し、1910年にはフランス領赤道アフリカの一部となった。また第二次世界大戦後の1946年、フランス第四共和政のもとで海外領に昇格し、さらに独立の気運の高まるなかで、1958年にはフランス共同体内の自治共和国となり、そのとき植民地時代の名称ウバンギ・シャリを廃し国名を中央アフリカと称した。そして1960年には中央アフリカ共和国として独立した。
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独立後のこの国の政治は世界の耳目を集めるような変転にみまわれるが、それは独立前からの事件に起因している。独立前の解放運動の指導者で、黒アフリカ社会進歩党(MESAN)の党首であったボガンダBarthélemy Boganda(1910―1959)は、自治共和国成立時に首相の地位にあり、そのまま独立後は大統領に就任するとみられていたが、独立の前年航空機事故で死亡、ダッコDavid Dacko(1930―2003)が後継者となり、そのまま独立後の初代大統領の地位についた。独立後まもない1963年にコンゴ共和国にクーデターが起こり社会主義政権が誕生すると、ダッコはこれに同調し、国内外の政策を社会主義路線に修正した。ところが1966年には、これに反対して軍事クーデターが起こり、陸軍参謀長ボカサ大佐が政権を掌握し軍事政権が生まれた。そしてその政策も親西側路線に改められた。ボカサは独裁色を強め、1972年には終身大統領となり、1976年には国名を中央アフリカ帝国と改称、自らも皇帝ボカサ1世を名のり、翌1977年には巨額を投じて戴冠(たいかん)式を挙行した。ボカサはナポレオンの崇拝者であったことから、黒いナポレオンとよばれた。
しかし1979年9月、ダッコ元大統領の無血クーデターにより、この体制も崩壊し、ふたたび共和制に戻された。二度目の大統領の地位についたダッコは、1981年新憲法を公布、大統領選挙にも辛勝したが、野党勢力の抵抗で安定した政情を回復できず、同1981年にはコリンバAndre Kolingba(1935―2010)陸軍参謀長による無血クーデターを招いた。以後、コリンバ議長による国家再建軍事委員会が政権を掌握したが、1985年同議長は国家再建軍事委員会を解散し大統領に就任、1986年単一政党制の新憲法を制定、民政に移管した。一方、1982年に非合法化された野党の反政府運動が活発化しており、国内では絶えず不安定な政治が続いている。こうした政情不安を前提に外交政策は絶えず変動しているが、1993年大統領に就任したパタセAnge-Félix Patassé(1937―2011)は他の政党や労働組合の活動を容認するなど民主化へ向けての改革を表明した。しかし1996年には軍の一部が給与の遅配や待遇の悪化に対し反乱を起こし、フランス軍が介入する事態となった。パタセは反乱部隊側と国民統一政府をつくることで合意、新内閣が発足した。1997年、停戦合意によりアフリカ6か国で構成される仲介軍(MISAB)が派遣され、1998年には国連PKO(MINURCA)に引き継がれた。しかし、それも2000年には撤退した。1999年パタセ再選。2001年、2002年、政府軍とボジゼFrançois Bozize(1946― )元参謀長派武装勢力との間に武力衝突が発生。2003年3月、パタセが国外にいる間に、ボジゼはクーデターを起こし、自ら「大統領」就任を宣言、「国家暫定評議会」を設立した。
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内陸国という条件のうえに、10年余にわたるボカサ独裁政治の失政により経済困難が続いている。1人当り国民総所得(GNI)も280ドル(2000)で世界最貧国の一つとされている。
人口の87%は農業従事者であるが、そのほとんどは自給的農業を営んでいる。しかし耕地は国土の3%ほどで生産性は低い。一方、植民地時代から栽培の開始されたコーヒー、綿花はそれぞれ南部、中部を中心に生産されており、この国の輸出品目のなかでは重要な位置を占めている。林産資源はまだ未開発であるが、原木輸出は重視されつつある。しかし、これら農産物、原木の運搬は、現在のところウバンギ川の水運でブラザビルまで運ばれ、そこから鉄道で大西洋岸のポアント・ノアールまで陸送されるわけで、輸送コストが大きく国際競争力は弱いとされている。この運輸の問題点が内陸国中央アフリカの経済のネックとなっている。
こうした点からも、中央アフリカの経済を支えているのは、国内数か所から産出するダイヤモンドである。ダイヤモンドはこの国の輸出の44%を占め最大の外貨獲得源となっている。現在は政府とアメリカ、カナダとの合弁会社や個人企業などによって採掘されており、その埋蔵量は5000万カラットといわれている。そのほかの鉱産資源にも恵まれており、埋蔵量約2万トンと推定されるウラン鉱をはじめ、鉄などの重金属の豊富な埋蔵が推定されている。今後の開発に期待が寄せられているが、政情の安定がその第一の条件となろう。
貿易では、ダイヤモンド、コーヒー、原木、綿花などが主要輸出品目で、その相手国としては、フランスのほか、ダイヤモンドの関係からベルギー、イスラエルが多い。輸入は総額の60%以上をフランスが占める。運輸はもっぱらバンギ―ブラザビル―ポアント・ノアールを結ぶ水陸輸送に依存しており、わずかながら陸路でチャド、カメルーンと交流がある。こうした運輸交通上の条件を考えると、付加価値の高いダイヤモンドなどの鉱産資源の開発が、この国の今後の経済の鍵(かぎ)を握っているといえよう。
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中央アフリカの文化、社会を全般的にみたとき、住民のほとんどがバントゥー語系諸部族であることや、イスラム教徒はハウサ人やフラニ人など一部で全人口の15%にすぎず、大半が土着的な宗教を信仰しており、キリスト教徒も50%に達していることなどから、住民間に文化的落差が小さいことが特色としてあげられる。このことは言語にも反映しており、公用語となっているフランス語とサンゴ語(バンギ周辺の言語とフランス語とが融合した言語)が広く共通語として話されている。国営放送ではサンゴ語による放送も広く行われている。児童の就学率は1993年で71%に達しているが、非識字率は依然として50%という高い率を示している。日刊紙はフランス語の『エレソンゴ』などで、国営のラジオ・テレビ放送と国営ACAP通信がある。
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貿易面での日本との関係はわずかながら毎年続いており、2000年では対日輸出は100万ドル、輸入は自動車、機械、米など400万ドルとなっている。1991年には、日本政府は食糧増産計画資金として6億CFAフランの援助を決定した。両国は相互に大使館を、それぞれの首都に設置している。
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(2013-12-10)
アフリカ中央部に位置する小国。1894年フランス領ウバンギ・シャリに,1910年フランス領赤道アフリカの一部になる。60年8月完全独立を果たし,建国の父ボガンダの遺志を継承し国名を中央アフリカ共和国と決定。96年複数政党制移行など民主化が進展するも政情は不安定。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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