日本歴史地名大系 「赤馬院」の解説 赤馬院あかまいん 福岡県:宗像市旧宗像市地区赤馬院現朝町(あさまち)・須恵(すえ)・土穴(つちあな)・三郎丸(さぶろうまる)などで構成され、旧宗像市域を中心に広範囲に分布するこれらの集合体からなっていたと考えられる。現赤間(あかま)を遺称地とする。大治四年(一一二九)一〇月の銘をもつ稲元(いなもと)出土の経筒(東京国立博物館蔵)に「赤馬院桂田村住尼妙法」とみえる。「桂田村」は比定地不明。弘安一〇年(一二八七)二月日の筑前国司庁宣(宗像大社所蔵文書/鎌倉遺文二一)では「大山田赤馬院得末名」について「当村者、往古之国領、国司進止之地也、而氏富為開発領主、六代相伝知行無相違之由」とあるように、当院は国司進止の地といわれる国領であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by