越後京田村(読み)えちごきようでんむら

日本歴史地名大系 「越後京田村」の解説

越後京田村
えちごきようでんむら

[現在地名]藤島町越後京田

野田目のだのめ村の北東に位置。古く越後国から植民された人たちによって開村されたといわれる。現在住民のほとんどが斎藤姓で、数軒が鈴木姓である。近世前期東方にあった沼口ぬまくち村が滅村となり、二戸ほどが当村に移住したともいう(藤島町史)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高二一四石余、以後庄内藩領。寛永元年庄内高辻帳では高二〇七石余。正保郷帳に村名はみえない。享和三年(一八〇三)の名寄帳(越後京田区有文書)では田一七町九反余・畑一反余、屋敷二反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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