足守郷(読み)あしもりごう

日本歴史地名大系 「足守郷」の解説

足守郷
あしもりごう

和名抄」諸本に「安之毛利」の訓がある。現岡山市足守を中心とした地域に比定される。「日本書紀」応神天皇二二年九月一〇日条に、御友別らの吉備一族が応神天皇を「葉田葦守宮」でもてなした記事がある。天平一一年(七三九)備中国大税負死亡人帳(正倉院文書)に「葦守郷」とみえ三井里の戸弓削部連田道が二〇束、戸主物部大海の戸口出雲部羊売が一〇束、猶見里の戸主建部臣大山の戸口建部臣恵師売が六束、戸出雲部小麻呂が八束、戸主建部千先の戸口建部気津売が一〇四束、建部智麻売が一〇四束の大税を借りて死亡したとある。平城京跡出土木簡の「(表)賀陽郡葦」「(裏)首麻呂俵」は当郷からの貢進物の付札であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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