平安前期の文人官僚。三善氏吉(うじよし)の子で、善相(ぜんしょう)公とも称される。また「きよつら」という訓もあるが、正しくは「きよゆき」。873年(貞観15)に文章生(もんじょうしょう)となり、翌年得業生となり、881年(元慶5)に方略試を受けるが不合格となる。このときの問者が菅原道真(すがわらのみちざね)で、以後清行が道真と立場を異にすることが多いのは、これに起因するとみる説もあるが明らかではない。2年後に37歳で対策に及第し、大学少允(しょうじょう)となる。886年(仁和2)少内記、翌年には従(じゅ)五位下(げ)大内記となる。この年に始まる阿衡(あこう)紛議では藤原佐世(すけよ)らの意見にくみし、橘広相(たちばなのひろみ)を弁ずる菅原道真に対する。893年(寛平5)に備中介(びっちゅうのすけ)となり、初めて地方社会の実情を知り、また政治の生きた理念を学ぶ。この経験はのち914年(延喜14)の意見封事十二箇条に強く反映される。
900年(昌泰3)に刑部大輔(ぎょうぶたいふ)、文章博士となり、右大臣菅原道真に辞職を勧め、ついで明年辛酉(しんゆう)革命の議を上奏し、翌901年に道真左遷後、辛酉革命の勘文(かんもん)を上奏し、延喜(えんぎ)と改元された。ついで大学頭(だいがくのかみ)となり、延喜格式(きゃくしき)の編纂(へんさん)にも参画したが、晩年はとくに目だった活動はなく、917年に71歳で参議・宮内卿(くないきょう)となった。著作には『円珍和尚(えんちんかしょう)伝』『藤原保則(やすのり)伝』『善家秘記』などがあり、歌集として『善家集』(一巻・佚(いつ))があった。
[佐藤宗諄]
『所功著『三善清行』(1962・吉川弘文館)』
(朧谷寿)
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平安前期の文人官吏。淡路守氏吉の三男。大学で巨勢文雄に師事し,37歳で対策及第して官途についた。893年(寛平5)備中介に赴任した以外は京で大内記,文章博士,大学頭,式部大輔など儒職を歴任し,晩年の71歳でようやく参議兼宮内卿に栄進した。詩文に優れ,《円珍和尚伝》《藤原保則伝》《善家秘記》などを著す。辛酉の年の901年(延喜1)に《革命勘文》を,また914年には《意見十二箇条》を上奏する警世家でもあった。
執筆者:所 功
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847~918.12.7
「きよつら」とも。平安前期の学者・官人。幼名は文雄。字は三耀・居逸。善相公とも称した。氏吉の子。母は佐伯氏。873年(貞観15)文章生(もんじょうしょう)。翌年,巨勢文雄(こせのふみお)の推薦で文章得業生(とくごうしょう)に選ばれた。881年(元慶5)方略試で不第とされたが,2年後に改判で丁第とされ官途につく。887年(仁和3)従五位下。その後,大内記・備中介・文章博士(はかせ)・大学頭などを歴任。この間「革命勘文」を奏上し,辛酉革命説にもとづき改元を求めて容れられ,901年(昌泰4)7月,延喜と改元された。905年「延喜格式」編纂員に任じられた。914年従四位上・式部大輔となり,醍醐天皇の諮問に答えて政治改革を説いた「意見十二箇条」を上奏。917年参議となる。
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…914年(延喜14)4月,式部大輔の三善清行が密封提出した意見書。まず序論では律令国家財政の衰退ぶりを具体的に指摘し,以下12ヵ条の大半(1,3,8~12条)は,かつて備中国司(受領)として苦労した体験に基づき,地方行政上の現実的な障害除去を主張している。…
…かくて滋岳川人(しげおかのかわひと),弓削是雄(ゆげのこれお)ら名人が輩出し,川人は多数の著作をのこし日本における陰陽道の基礎をつくった。平安中期に出た三善清行も易に通じ,辛酉の歳には革命,甲子の歳には革令があるとの中国の讖緯説(しんいせつ)(周期的予言説)をひいて改元を上奏し,年号を延喜とした。これより周期的災厄説による災異改元が恒例化した。…
…巻二は詔,勅書,勅答,位記,勅符,官符,太政官符,意見封事など公文書の類,実用的文例を収める。三善清行《意見十二箇条》は見識の高さを示す王朝最高の文章。当年の社会・経済の病弊を抉(えぐ)り,痛烈に批判して,国政の方向を提示する。…
…この氏には二つの流れがある。(1)百済系 《新撰姓氏録》に〈錦部連は三善宿禰と同祖,百済王速古大王の後なり〉とみえる。その渡来年代はわからないが,錦部連の一部が三善宿禰への改氏改姓を許されたのは805年(延暦24)前後で,当時,後宮女官に姉継,弟姉という人物がいた。ついで三善宿禰に朝臣の姓を賜ったのは903年(延喜3)ころで,当時,文章博士兼大学頭の清行などが活躍していた。清行の子は,文江と文明が文人官吏となり,浄蔵と日蔵が出家しているが,それ以後直系の子孫に著名人は見えない。…
※「三善清行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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