躑躅ヶ崎(読み)つつじがさき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「躑躅ヶ崎」の意味・わかりやすい解説

躑躅ヶ崎
つつじがさき

甲斐武田氏3代の居館があった地。甲府市古府中町にある。永正 16 (1519) 年信虎が石和 (いさわ) からこの地に館を移し,以後天正9 (81) 年に信虎の孫勝頼が韮崎の新府城に移るまで居館があった。晴信 (信玄) は信濃駿河上野を侵略し版図を広げたが,躑躅ヶ崎の城館は堀一重の狭く簡素なものであった。信玄は「人は城,人は石垣,人は堀,情は味方,仇 (あだ) は敵なり」と詠み,大城郭を営まなかったといわれる。

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世界大百科事典(旧版)内の躑躅ヶ崎の言及

【甲斐国】より

… 戦国時代の甲斐は武田信虎・信玄(晴信)・勝頼3代による領国統一時代である。信虎は1519年(永正16)居館を石和(いさわ)から躑躅(つつじ)ヶ崎(甲府市武田神社の地)に移して領国経営の中心とした。これが甲府(甲斐府中の略)の誕生である。…

【甲府[市]】より

…【横田 忠夫】
[甲府城下]
 甲斐国の城下町。甲府は甲斐府中の略称で,そのおこりは1519年武田信虎が石和(いさわ)から館を現在の甲府市の北辺にあたる躑躅ヶ崎に移したことにあり,以後信玄,勝頼まで3代の領国経営の本拠となった。ここは平坦地の石和と異なり,相川扇状地の開口部で北と東西の三面に山を負い,南に甲府盆地が展開する要衝の地形をなしていた。…

※「躑躅ヶ崎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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