朝日日本歴史人物事典 「身狭青」の解説
身狭青
5世紀後半の外交使節。『日本書紀』によれば雄略天皇の寵臣。雄略8(464)年,さらに12年に檜隈民使博徳と呉に使者として渡る。帰国に際し,呉の漢織,呉織,衣縫などの技術者を招来する。青は渡来氏族の身狭氏の出自であり,職掌は史部(朝廷の書記官)であった。その史部としての知識,技能を認められ外交面での活躍の場を与えられたと考えられる。
(関和彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(関和彦)
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