日本古代の渡来系氏族の姓(かばね)の一つ。〈すぐり〉ともいう。村主を〈すくり〉と読むのは,古代朝鮮語の郷,村を意味するsu-kur(足流)という語に由来する。5世紀以降,主として朝鮮百済から渡来した技術者集団である漢人(あやひと)を,各国内の村に配置したさいに,各集団を統率した渡来人の長を村主と呼称したものらしい。やがて姓制が確立すると,称号である村主も姓の一つとなり,また後には氏名ともなった。村主の姓を称する氏族には,高向(たかむく)村主,西波多(かわちのはた)村主,平方村主などがおり,仁徳天皇の時代に百済などから村落の人たちが,こぞって日本に渡来したとする伝承を持ち,いずれも,後に坂上氏となる東漢(やまとのあや)氏の統轄下に,各種の技術者集団の統率者の役割を果たしていたらしい。後には,他の一般氏族と異ならないものとなり,律令政府の下級の役人となっている。氏名の村主には,葦屋村主の同族と称する氏族などがあり,摂津や和泉国などに居住していたことが知られる。
執筆者:佐伯 有清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代の姓(かばね)の一つ。主村とも記す。語源は、族長を意味する朝鮮語に由来する。村主についての諸説は、村落団体の首長の有した地方官職名説と、朝鮮系漢人(あやひと)集団の統率者の敬称説に大別されるが、後者が有力である。村主姓氏族は40余を数え、そのすべてが帰化人の後裔(こうえい)であり、なかでも漢氏系がもっとも多い。元来村主は、5、6世紀に形成された技術を有する漢人集団の統率者の敬称であったが、7世紀後半以降に姓(かばね)へ転化していった。村主と同様に「スグリ」と読まれる姓(かばね)に勝(カチ、マサともいう)があるが、これは村主と性格を異にする。また、日本の村主は、新羅(しらぎ)の地方官職名である村主とも直接的な関係はないといわれる。
[前之園亮一]
『太田亮著『全訂日本上代社会組織の研究』(1955・邦光書房)』▽『佐伯有清著「新羅の村主と日本古代の村主」(『日本古代の政治と社会』所収・1970・吉川弘文館)』
古代のカバネ。古代朝鮮語で村長を表す「スグリ」からきたという説が有力。おもに帰化人のうち下級の氏に与えられた。「日本書紀」に雄略天皇が寵愛した者として史部(ふひとべ)の身挟(むさ)村主青がみえるのが初例。このほか敏達朝の鞍部村主司馬達等(しばたっと),推古朝の天文遁甲を学んだ大伴村主高聡(こうそう),天武朝の侍医桑原村主訶都(かつ)などがいる。「坂上系図」には仁徳朝に渡来したと伝える30の村主氏族がみえるが,いずれも漢(あや)氏の支配下におかれた伴造氏族である。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…周辺にはどこのむらにも属さない土地が広がっており,それがむらの中に取り込まれるのは高麗時代以後のことである。かつては各むらに指導者としての村主がいたのだが,すでにこの時代には彼らも国家機構の末端に位置づけられていた。新羅末期の戦乱を経て高麗の支配層になっていった,むらを本拠地とする地方豪族たちの多くは,かつての村主たちの後身である。…
※「村主」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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