精選版 日本国語大辞典 「雄略天皇」の意味・読み・例文・類語
ゆうりゃく‐てんのう ‥テンワウ【雄略天皇】
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生没年不詳。5世紀後半の天皇で、記紀では第21代に数えられる。『日本書紀』には在位23年で崩ずと記す。大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ)(大長若建)天皇(命(みこと))ともいう。允恭(いんぎょう)天皇の皇子で、母は忍坂大中姫(おしさかおおなかつひめ)(大中津比売)。泊瀬朝倉宮に即位し、王権を強化する。諸氏族の反乱を鎮圧し、対外関係においても注目すべき伝えがある。『宋書(そうじょ)』にみえる倭王武(わおうぶ)は雄略天皇とする説があり、倭王武は478年に南朝宋へ遣使上表し、「使持節都督倭、新羅(しらぎ)、任那(みまな)、加羅、秦韓(しんかん)、慕韓六国諸事事安東大将軍倭王」に任命された。『南斉書(なんせいしょ)』には479年に倭王武が鎮東大将軍になったと記す。埼玉県行田(ぎょうだ)市の稲荷山(いなりやま)古墳出土の鉄剣銘文にみえる「護加多支(わかたける)大王」は雄略天皇とする説が多い。『梁書(りょうしょ)』や『南史』にみえる502年の倭王武は、『宋書』の倭王武とは別の王とする説もあり、502年の中国史書の記述は、実際の朝貢に基づいたのではなく、5世紀後半の倭王武の遣使朝貢を受けた記述とする見解が有力である。墓は丹比高鷲原(たじひのたかわしはら)陵(大阪府羽曳野(はびきの)市)とする。
[上田正昭]
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記紀系譜上の第21代天皇。5世紀後半頃の在位という。大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ)天皇と称する。允恭天皇の第五子。母は忍坂大中姫(おしさかおおなかつひめ)命。兄の安康天皇が眉輪(まゆわ)王に殺されると,兄弟を疑い,同母兄の八釣白彦(やつりのしろひこ)皇子を斬り,坂合黒彦(さかあいのくろひこ)皇子を眉輪王とともに葛城円大臣(かずらきのつぶらのおおおみ)の家で焼き殺した。さらに履中天皇の子で,安康天皇が後継者に考えていた市辺押磐(いちのべのおしは)皇子を殺し,泊瀬朝倉宮に即位したと伝える。「宋書」倭国伝にみえる倭王武(ぶ)に比定される。武は477年,安東大将軍を称して将軍号を授けられ,翌年に大将軍,翌々年には鎮東大将軍に進められた。また埼玉県の稲荷山(いなりやま)古墳から出土した鉄剣銘文にみえる「加多支鹵大王(わかたけるのおおきみ)」にあてられる。
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… 前半には上祖オホヒコ(意冨比垝)からこの銘文の主人公であるヲワケ(乎獲居)に至る8代の系譜が記され,後半には今まで代々〈杖刀人の首〉(親衛隊の長)として仕えてきたが,ワカタケル(獲加多支鹵)大王の朝廷(寺)がシキ(斯鬼)宮にあるとき,ヲワケがその統治を助けた記念として,この刀を作り来歴を記した旨が刻まれている。ワカタケル大王を大泊瀬幼武天皇(《宋書》倭国伝にみえる倭王武で,雄略天皇),シキ宮を大和の磯城に当て,辛亥年をその治世の471年に比定する説が有力である。またヲワケについては,この礫槨の被葬者をヲワケとし,〈杖刀人の首〉は律令制の兵衛(ひようえ)などに連なるものとみて,ヲワケを東国国造の系譜に属する者と考える説と,上祖オホヒコを記紀に阿倍臣や膳臣(かしわでのおみ)の始祖としてみえる孝元天皇の皇子大彦命とし,あるいは〈杖刀人〉は阿倍臣に従属する丈部(はせつかべ)であるとみて,ヲワケを中央豪族の一員と考える説に大きく見解が分かれている。…
…銘文の解読の基礎は福山敏男が1934年につくり,最初の部分を〈治天下□□□歯大王世□□〉と読んで,蝮(たじひの)宮に天の下治(しろし)めす弥都歯(みずは)大王,すなわち反正天皇にあてた。この福山説にしたがって,大刀を438年ころの製作と考えるのが定説であったが,78年に埼玉(さきたま)稲荷山古墳出土の鉄剣に金象嵌銘が発見されたとき,岸俊男らの解読の際に再検討が加えられ,これはむしろ稲荷山銘と同じく獲加多支鹵(ワカタケル)と読めることが示され,雄略天皇の時代の製作とみる説が有力になった。内容の概略は〈獲□□□鹵大王の世に,事(つか)える典曹人の无[利][工]が大錡(かま)を用いて好い刀を作った。…
…《日本書紀》に3種の伝承を載せている。雄略7年8月条では,吉備下道前津屋(さきつや)が宮廷に宦者(とねり)として仕えていた弓削部虚空(おおそら)を帰郷時に留使したが,雄略天皇によって召還される。前津屋が大女や大雄鶏を自分に,小女や小禿雄鶏を雄略に見立てて戦わせ,雄略の側が勝つとこれを殺しているのを虚空から聞いた雄略は,物部30人をして一族70人を誅滅した。…
※「雄略天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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