車ノ町
くるまのちよう
[現在地名]中区丸の内一―二丁目
車之町とも書き、車町ともよぶ。京町筋南の東西道路魚の棚筋の西端に位置する。桑名町筋と木挽町筋との間の四丁をさす。東は小田原町に接し、西は緩やかな下り坂をつくって堀川東岸の元材木町に達する(府城志)。もとは名古屋村今市場、のちの郭内三の丸中小路の天王坊前にあり、今川左馬介在城当時、すでに町並をなしていたらしい。「府下旧町と申ハ、当町に限るなり」といわれるほど歴史は古い(町名起因並町家由緒、蓬州旧勝録)。慶長年中(一五九六―一六一五)開府と同時に当地へ移された。初めは一丁目町といい承応年中(一六五二―五五)毎年六月の天王祭礼車を支配したことにより車ノ町と改称(尾張城南陌名由緒)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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