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松平忠吉 まつだいら ただよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平忠吉 まつだいら-ただよし

1580-1607 江戸時代前期の武将,大名。
天正(てんしょう)8年9月10日生まれ。徳川家康の4男。天正9年2歳で松平(東条)家忠の遺領をつぎ,18年家康の関東入りに際し,武蔵(むさし)忍(おし)に10万石を領した。関ケ原の戦いで岳父井伊直政(なおまさ)とともに力戦し,武名をあげる。慶長5年尾張(おわり)(愛知県)に52万石をあたえられ清洲城主となった。慶長12年3月5日死去。28歳。嗣子がなく家はたえた。幼名は福松。初名は忠康。

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朝日日本歴史人物事典の解説

松平忠吉

没年:慶長12.3.5(1607.4.1)
生年:天正8(1580)
江戸初期の武将。名は甚太郎,福松,忠康。下野守,薩摩守と称す。徳川家康の第4子で母は西郷局,東条松平家忠の養子となり,文禄1(1592)年2月に従五位下下野守に叙し,武蔵忍城の10万石に封ぜられる。その妻が井伊直政の娘であった関係から,慶長5(1600)年の関ケ原の戦に際しては,舅の井伊直政と共に徳川隊の先鋒の大役を務めた。ことに徳川秀忠率いる軍勢の到着が遅れたことから,関ケ原における徳川将兵の軍事力は劣弱であったが,直政と忠吉の徳川勢は力戦して島津義弘隊ほかと戦ってこれを破り,忠吉は初陣ながら自ら敵の首級をあげるなど軍功著しく,父家康を大いに喜ばせた。戦後は尾張清洲城を賜り,52万石を領し薩摩守と改める。10年に従三位左近衛権中将となり,28歳で没した。嗣子なくして家は絶えた。

(笠谷和比古)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

まつだいらただよし【松平忠吉】

1580‐1607(天正8‐慶長12)
江戸初期の大名。尾張国清須城主。徳川家康の第4子。母は西郷局。幼名福松。薩摩守,左近衛権中将。遠江国浜松に生まれ,1581年(天正9)東条松平家の遺領を継ぐ。92年(文禄1)武蔵国忍(おし)で12万石。武芸をたしなみ関ヶ原の戦では島津氏との戦闘で勇戦した。1600年(慶長5)尾張国清須で52万石を領する。実子がなく,死後所領は没収された。【煎本 増夫】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松平忠吉
まつだいらただよし

[生]天正11(1583).9. 浜松
[没]慶長12(1607).3.5. 江戸
江戸時代初期の武将。徳川家康の4男。母は西郷局。下野守,薩摩守。東条の松平家忠の跡を継ぎ,文禄1 (1592) 年武蔵忍 (おし) 城 12万石を与えられた。のち戦功により尾張清洲 52万石を与えられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松平忠吉
まつだいらただよし
(1580―1607)

江戸前期の大名。幼名於次(おつぐ)、福松。下野守(しもつけのかみ)、薩摩守。徳川家康の四男。母は西郷局で、兄秀忠と同じ。1581年(天正9)病死した東条松平家忠の養子となる。小牧・長久手の戦後に人質として大坂に送られた。1590年武蔵国忍(おし)城主10万石、翌年大坂より戻る。1600年(慶長5)石田三成(みつなり)挙兵に対して、東海道を進む東軍諸将の先手大将とされ、関ヶ原の戦には舅(しゅうと)井伊直政(なおまさ)と先駆して名をあげ、負傷したという。戦後、尾張国清洲(きよす)城主となり、尾張国(知多(ちた)・海西(かいさい)2郡と中島(なかしま)郡の一部を除く)を領有。家康の代理として西国に対する。1605年従三位(じゅさんみ)・中将、1606年知多郡10万石加増。没後、無嗣断絶。遺領は、甲斐甲府城主弟義直(家康九男)が継承。[下村信博]
『新修名古屋市史編集委員会編『新修名古屋市史 第2巻』(1998・名古屋市) ▽『尾張清須城主松平忠吉――関ヶ原を駆け抜けた武将』(1993・名古屋市博物館) ▽中嶋次太郎著『徳川家臣団の研究』(復刻、1981・国書刊行会)』

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世界大百科事典内の松平忠吉の言及

【忍藩】より

…同年8月徳川家康は深溝(ふこうず)松平家忠を利根川沿岸諸村1万石の地に配置した。家忠は伊奈熊蔵らの検地をうけた後,領地の経営にあたったが92年(文禄1)下総国上代(かじろ)に転じ,同年東条松平忠吉が10万石で入封し,成田氏旧臣などを加え家臣団を強化した。また95年利根川の流路変更の大工事を達成し,耕地の拡大に成功した。…

【尾張国】より

…西軍に属した貞清を除封。家康の四男松平忠吉が清須城主52万石に封ぜられ尾張の大部分を領し,犬山城には忠吉の重臣小笠原吉次が入り1万石を領した。家康の生母の甥水野分長が故地の知多郡緒河城(東浦町)9820石に封ぜられたが,5年後に三河新城(しんしろ)に移され,忠吉はほぼ尾張一国を領した。…

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