日本歴史地名大系 「車方村」の解説 車方村くるまがたむら 千葉県:船橋市車方村[現在地名]船橋市車方町大神保(おおじんぼう)村の北東に位置する。神崎(かんざき)川に注ぐ鈴身(すずみ)川が流れる。古くは車形とも書いた。集落が台地東側の裾にあり、その前面に谷津が広がる。中世は神保(じんぼう)郷の内で、応永一三年(一四〇六)五月七日の千田道胤売券(中山法華経寺文書)に神保郷内ふるまかたの村とみえ、同所田畠の見作・不作とも一円として直銭三二貫文で売渡している。道胤は千田(ちだ)庄(現多古町)を本拠とするか。慶安期(一六四八―五二)とみられる高城胤忠旧知行高付帳では「くるまかた村」とする。寛文四年(一六六四)の松平乗久領知目録(寛文朱印留)に村名がみえ、佐倉藩領。のち旗本鈴木領。元禄郷帳では高四七石余。慶応二年(一八六六)の関東取締出役書上(豊富村誌)では家数一〇・人数七一。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報