中世に,作付けせず放置してある田畠をいい,年貢・公事(くじ)の免除地。ただ,非課税地であるが,洪水で耕作不能となった川成(かわなり)とは区別された。作付けしない期間の長短などにより,当不,年不(ねんぷ),常不,永不のような別がみられた。当不は,〈夏分不作〉のごとく,半年もしくは1年ぐらいの短期間の休耕地を意味した。年不の場合は,数年にわたり作付けされないこともあった。しかし,それはまだ棄地(すてち)となったわけではない。当不や年不は耕作者・年貢負担者が定まっており,彼らに満作化の努力が求められたのである。ところが,常不・永不などは,作付けが困難であるため,棄地として長期間放置された田畠をいう。中世後期では,これを荒(あれ)・荒所(あれしよ)とも称した。また,常不,永不などの場合,おのずと名主職や百姓の保有権も消失し,いわゆる無主地となっていった。
不作となる条件は,灌漑用水の不備,地力の低下,天候異変のような自然的なものだけでなく,人為的なものもあった。その一は戦乱である。田畠がそのために踏み荒らされたり,百姓等が巻きぞえを恐れて一時的に避難したためである。その二は,生活の窮乏などによる百姓等の逃死亡である。このような人為的条件による不作は,人手さえあれば満作化は比較的容易であった。たとえば,鎌倉中期には,百姓の逃死亡により不作になると,預所・地頭がいっしょに浪人を招き,双方で召し使うことが傍例となっていた。地頭の力が強くなると,不作を自領の中に取り込め,下人等にあて作らせることも多くなった。
なお,百姓等の政治的力量の成長とともに,鎌倉後期の検注以降,不作・川成などの田数が固定化する傾向にあった。また15世紀に入ると,守護が国人領主等に対する特権賦与として,大田文の田数の一部を不作とし,課役を免除することがみられるようになった。戦国期には,開発を前提として,領主は家臣に〈不作の在所〉をもあてがった。そして,開発を促すとともに,開発されると再び役を課した。
なお,不作ということばは,中世後期になると,作物のできが悪いという意味でも用いられるようになった。
執筆者:松井 輝昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…荒廃した田畠の総称で,年貢,公事の免除地。検注帳などでは,常荒(じようこう),年荒(ねんこう),荒,不作(ふさく)のような区別がみられた。常荒とは,かつて田畠として開発されたが,地質,地勢などの条件によりほとんど収穫が望めないため,長い間放置されたままの荒地をいう。…
…中世,荘園や公領の田畠が天災・戦乱などの被害で不作となること。この時代は農業技術の未熟から作柄が不安定な耕地が多く,少々の自然災害で損亡が発生した。…
※「不作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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