小野田(読み)オノダ

デジタル大辞泉 「小野田」の意味・読み・例文・類語

おのだ〔をのだ〕【小野田】

山口県南西部にあった市。古代は陶業の中心であった。明治中期以来、セメント化学工業が盛ん。平成17年(2005)3月に山陽町と合併して山陽小野田市となった。→山陽小野田

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精選版 日本国語大辞典 「小野田」の意味・読み・例文・類語

おのだをのだ【小野田】

  1. 山口県南西部の地名。旧市名。セメント・化学工業が盛ん。昭和一五年(一九四〇)市制。平成一七年(二〇〇五)厚狭郡山陽町と合併して山陽小野田市となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小野田」の意味・わかりやすい解説

小野田(山口県)
おのだ

山口県南西部、瀬戸内海沿岸にあった旧市名。現在は山陽小野田市の南部と東部を占める地域。有帆(ありほ)川の下流を占める小野田町と高千帆町が合併して1940年(昭和15)小野田市として市制施行。2005年(平成17)山陽町と合併して山陽小野田市となった。JR山陽本線小野田線と国道190号が通る。山陽自動車道小野田インターチェンジもある。『延喜式(えんぎしき)』にみえる長門瓷器(ながとしき)の産地で、古代陶業の中心として知られ、いまも須恵器(すえき)窯址(ようし)や須恵という地名が残っている。近世には有帆川の河口一帯の干拓が進み、製塩と石炭採掘が盛んとなり、石炭問屋が集まった。明治中期、小野田セメント(現、太平洋セメント)や日本舎密(せいみ)(現、日産化学)が設置され、セメント町や硫酸町などの町名が生まれ、大正以降、田辺製薬(現、田辺三菱製薬)、小野田化学も加わって化学工業に特色をもつ鉱工業都市として発達したが、炭鉱は1965年(昭和40)西沖ノ山炭鉱の閉山を最後にすべて姿を消した。有帆川河口の高泊(たかどまり)はノリ養殖専門の設備の整った漁港をもつ。1995年山口東京理科大学が開学した。周防灘(すおうなだ)の展望台竜王山公園はサクラ名所、北部丘陵地の江汐(えじお)湖はツツジの美しい公園である。江戸時代初期につくられた浜五挺唐樋(はまごちょうからひ)は国の史跡、旧小野田セメントのセメント焼成用竪窯(たてがま)は国の重要文化財に指定されている。また、旧小野田セメントの徳利窯(1883年建設)は重要な産業遺跡として県の指定史跡

三浦 肇]

『『小野田市史』全4巻(1958~1963・小野田市)』



小野田(宮城県)
おのだ

宮城県北西部、加美郡(かみぐん)にあった旧町名(小野田町(まち))。現在は加美郡加美町の南部を占める一地区。1943年(昭和18)町制施行。2003年(平成15)中新田町(なかにいだまち)、宮崎町と合併し、加美町となる。旧小野田町地区は、鳴瀬(なるせ)川の上流部にあたり、区域の85%が船形山麓(ふながたさんろく)などの山林原野である。西は山形県に接する。かつては馬産地帯で馬市も開かれ、鍋越峠(なべこしとうげ)を越え尾花沢(おばなざわ)へ通じる中羽前街道には伝馬宿駅が置かれた。1952年(昭和27)北上(きたかみ)川総合開発特定地域の指定以来、酪農振興地帯として薬莱山(やくらいさん)麓では国営開拓事業が進められてきた。東小野田には江戸中期の民家松本家住宅(国の重要文化財)がある。北西端には、国の天然記念物の魚取沼(ゆとりぬま)テツギョ生息地がある。南端の船形山付近は船形連峰県立自然公園となっている。

[境田清隆]

『『小野田町史』(1974・小野田町)』

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百科事典マイペディア 「小野田」の意味・わかりやすい解説

小野田[市]【おのだ】

山口県西部,周防灘(すおうなだ)に面する旧市。1940年市制。中心市街は近世以降の干拓地に発達,毛利藩の石炭船の往来で栄えた。山陽本線,小野田線が通じる。明治以後小野田セメントをはじめ化学・製薬工業が立地,セメントの町として発展,周南工業地域の中核となっている。公園や緑地が多く,一人当たり公園面積日本一の町として知られる。2005年3月厚狭郡山陽町と合併し市制,山陽小野田市となる。43.05km2。4万5310人(2003)。
→関連項目山口炭田

小野田[町]【おのだ】

宮城県中西部,鳴瀬川上流部を占める加美(かみ)郡の旧町。馬産地として知られたが,近年は酪農,米作,畑作を行う。中羽前(なかうぜん)街道に沿うかつての交通要地。旧宮崎町との境にある魚取(ゆとり)沼はテツギョ生息地(天然記念物)。2003年4月,中新田町,宮崎町と合併して加美町となる。221.61km2。8092人(2000)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小野田」の意味・わかりやすい解説

小野田
おのだ

宮城県中西部,船形山 (1500m) 北麓に広がる地域。旧町名。西部は山形県に接する。 1943年町制。 2003年中新田町,宮崎町と合併し加美町となった。大部分は鳴瀬川の支流域を占める山地で,東部に水田がみられる。山麓の薬莱 (やくらい) 山 (553m) 周辺は国営開墾地として造成された牧草地で,酪農が行なわれる。北西端にある魚取沼 (ゆとりぬま) はテツギョ (鉄魚) の生息地で天然記念物に指定。仙台藩重臣奥山家家老の松本家住宅が重要文化財として残る。鳴瀬川の谷筋を通る中羽前街道 (国道 347号線) は,鍋越峠で尾花沢市 (山形県) へいたる。

小野田
おのだ

山口県南西部,山陽小野田市南部の旧市域。周防灘に臨む。 1940年小野田町と高千帆町が合体して市制。 2005年山陽町と合体して山陽小野田市となった。長州藩の時代から採炭が行なわれ,石炭船の往来で繁栄した。工業都市としての歴史も古く,1881年に日本最初の民間セメント工場が建設された。硫酸,化学肥料,薬品などの製造も盛ん。伝統の耐酸瓶,土管,粘土瓦の小工場も多く,瀬戸内海の陶業の中心地。

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改訂新版 世界大百科事典 「小野田」の意味・わかりやすい解説

小野田(山口) (おのだ)


小野田(宮城) (おのだ)

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事典・日本の観光資源 「小野田」の解説

小野田

(熊本県阿蘇市)
美しい日本のむら景観100選」指定の観光名所。

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