辺野喜村
びぬちむら
佐手村の北東に位置し、西は東シナ海に臨む。集落は辺野喜川の下流右岸の沖積地に立地する(間切集成図など)。現在、同川上流には辺野喜ダムが建設されており、上流部は伊集の湖となっている。絵図郷村帳に国頭間切「へのき村」とみえる。琉球国高究帳では与那村と併記され、「よな村・へぬき村」とみえる。「琉球国由来記」では辺野喜村と記され、当村の拝所であるヨリアゲ森(神名シチヤラノワカツカサ)、および神アシアゲは与那ノロが祭祀を管轄。国頭間切の地頭代は当村にヲエカ地をもち、辺野喜大屋子、あるいは辺野喜親雲上と称された(前掲由来記、「国頭村史」)。乾隆三年(一七三八)柳姓四世康忠が「辺野喜港勤番」に就任している(柳姓浦崎家家譜)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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