日本歴史地名大系 「近吾堂版切絵図」の解説
近吾堂版切絵図
きんごどうばんきりえず
解説 近吾堂版のうち番町絵図(題簽は懐中番町絵図)は四四・八×六四・五センチ(以後の各図も同大、たたむと一四・四×七・八センチ)。木版色刷(紙地色とも五色)。最初の本図は版元名を欠き、以降は近吾堂(ときに近江屋吾平)。三井文庫蔵。近吾堂版は弘化三年閏五月(出板許可は一一月)以降約四三板種が推定される。初めの七年間で江戸全域を地名の一体性で分けて不定形に三〇枚、のち分割を増やして三八枚とし安政三年の刊記まで。刊記外の改訂も多い。番町絵図は、付届け先の多い番町の入口麹町十丁目にあって、表札のない武家屋敷の案内に困惑した荒物屋が手描の見取図を版行したのに始まり、爆発的に売れた切絵図の最初のものといえる。以後永田町・駿河台など番町同様の武家地から近郊にも及んだが、後発尾張屋の追上げに遭った。町内番屋に備え、俗に「番太郎絵図」ともいう。なお明治三年の東京を冠称する二五図が別にある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報