近藤信竹(読み)コンドウ ノブタケ

20世紀日本人名事典 「近藤信竹」の解説

近藤 信竹
コンドウ ノブタケ

大正・昭和期の海軍大将



生年
明治19(1886)年9月25日

没年
昭和28(1953)年2月19日

出生地
大阪府

学歴〔年〕
海兵〔明治40年〕卒,海大〔大正8年〕卒

経歴
駐独大使館付武官、東宮武官兼侍従武官、「加古」「金剛」各艦長、海軍大学校教頭、連合艦隊参謀長。昭和10年海軍軍令部第1部長、日中戦争では第5艦隊司令長官、14年軍令部次長。太平洋戦争開戦時には第2艦隊司令長官としてマレー沖、ミッドウェー沖海戦などを指揮。18年海軍大将となり支那方面艦隊司令長官、軍事参議官を経て予備役となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤信竹」の解説

近藤信竹 こんどう-のぶたけ

1886-1953 大正-昭和時代前期の軍人
明治19年9月25日生まれ。ドイツ駐在後,連合艦隊参謀長などをへて昭和13年第五艦隊司令長官,14年海軍軍令部次長。16年第二艦隊司令長官となり,太平洋戦争初期の南方作戦を指揮した。18年海軍大将。昭和28年2月19日死去。66歳。大阪出身。海軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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