遊家村(読み)ゆけむら

日本歴史地名大系 「遊家村」の解説

遊家村
ゆけむら

[現在地名]掛川市遊家

垂木たるき川の支流家代いえしろ川の上流にあり、南は家代村。村名について、「遠江国風土記伝」は「神事靱負ゆきへ伴男ともをの司か」とし、「掛川誌稿」は「遊家は弓削也、弓削氏の古家ありしより村名となる、今は遊家を清てユケと呼ぶ也」としている。正保郷帳に村名がみえ、田方二九五石余・畑方一二石余、掛川藩領(幕末に至る)。文政一二年(一八二九)の御高等書留によると御貸筒二・威鉄砲一があり、高三八九石余(うち新田四五石余)、毛付高三四七石余の納辻米四八〇俵余、家数五七(本家四四・柄在家一三)・人数二四七、馬一七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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