遍照寺跡(読み)へんしようじあと

日本歴史地名大系 「遍照寺跡」の解説

遍照寺跡
へんしようじあと

[現在地名]秋田市千秋北の丸

六供ろつく町の南詰にあった真言宗宝鏡ほうきよう院末寺。佐竹家中総系図に「款冬山遍照寺観音院富士別当、応永元年開山、其以前ハ富士別当千手院と申山伏なり、宥鏡法印開基以後改めて遍照寺と号す、御代々御手習始御坊入、遍照寺ヘ被成、秋田御下向後ハ慶長六年御当地ニて御建立也」とある。慶長六年(一六〇一)は七年の誤り。元和七年(一六二一)大八幡別当社務光明院宥増法印の死去に伴い、光明こうみよう院を断絶し、「社務ヲ一乗院ニ被立替、遍照寺を被直置候」ことになった(「梅津政景日記」元和七年九月二〇日・一一月二二日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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