日本歴史地名大系 「遣川村」の解説 遣川村ひやりかわむら 埼玉県:加須市遣川村[現在地名]加須市古川(ふるかわ)・上樋遣川(かみひやりかわ)・中樋遣川(なかひやりかわ)・下樋遣川(しもひやりかわ)東は古利根川跡の小溝を境とし、西は道木沼(どうぎぬま)村・町屋(まちや)新田、三田(みた)ヶ谷(や)村(現羽生市)。羽生(はにゆう)領に所属(風土記稿)。当村には元和元年(一六一五)一一月の古宮(ふるみや)村、同二年一〇月の稲荷台(いなりだい)村(いずれも当村の小名)の年貢割付状を初め、多くの割付状が伝わる(明治大学刑事博物館蔵)。寛永三年(一六二六)一一月から同二〇年までの樋遣川村年貢割付状をみると、本田畑は四三町余、同八年には新田(下田)が八〇町余、下畑九町余が開かれ高入れされた。その後も貞享四年(一六八七)、元禄一五年(一七〇二)、享保一二年(一七二七)・同一九年、元文四年(一七三九)、明和九年(一七七二)と六回も新田検地が実施され、開発が盛んに進められたことがうかがえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by