邑智院・邑智庄
おうちいん・おうちのしよう
古代の邑知郷(和名抄)を継承すると考えられる散在庄園。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に「包智院」(包の字は邑の誤字とみられる)・「同庄」とみえ、前者は同元年の検注で田二〇町五段二、後者はもと三〇町であったが、同二年の検注では公文職一町に減少している。なお記載順などから現羽咋市街を除く千代町・上江町・上中山町などを含む邑知潟周辺の地域と考えられている。永徳三年(一三八三)三月二九日の僧某寄進状(京都御所東山御文庫記録)によれば、「邑智庄五箇村」はもと比叡山無動寺(現滋賀県大津市)常灯料所であったが、後光厳院御影堂に寄進されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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