那古野山の峠(読み)なごややまのとうげ

日本歴史地名大系 「那古野山の峠」の解説

那古野山の峠
なごややまのとうげ

名古屋北部の丘をさすとか、門前もんぜん(現大須)清寿せいじゆ(現廃寺)の後ろにあった小山をさすとかの説があり、「尾張名陽図会」には「今の札の辻の辺、むかし名古屋山の峠とて、高き嶺なりしを、御城下の町となる時、加藤清正肥後国の人夫を集て、嶺をけづり、其土を用ひて谷々を埋みて、平地となす、世の人其功をほめて、其頃の里童のはやりうたに、「音に聞えし名古屋の山を、ふみやならした肥後の衆が」とうたひしとなり」とあり、札の辻ふだのつじ付近だったことが知れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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