郡庄(読み)こおりのしよう

日本歴史地名大系 「郡庄」の解説

郡庄
こおりのしよう

近世の郡村域一帯にあったとみられる山城醍醐寺領。文治二年(一一八六)四月八日の醍醐寺文書目録(醍醐雑事記)に「河内庄文書櫃一合(中略)郡庄位田事民部省所進文一枚 寛弘五年九月十四日」とみえる。河内庄とは同寺領「河内国五箇庄」のことで、天暦六年(九五二)頃勅施入されて同寺領となった(八尾市の→志紀南庄・志紀北庄。いつ頃の状況を記したものか不明だが、「醍醐雑事記」に河内国五箇庄の一として「郡庄田五十町」とあり、年貢は反別四斗。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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