河内庄(読み)こうちのしよう

日本歴史地名大系 「河内庄」の解説

河内庄
こうちのしよう

古代大庭おおば郡河内郷(和名抄)の郷名を継ぐものか。上河内中河内・下河内を遺称地とし、河内川流域一帯に推定される。京都賀茂別雷かもわけいかずち(上賀茂社)社領。領家は徳大寺家。預所は賀茂社神主家。河内南庄のち河内庄、さらに下河内庄へと呼名が変わったとも推測される。

元暦二年(一一八五)六月六日の源頼朝下文(賀茂別雷神社文書)によると、頼朝は後白河院院宣を受けて賀茂社氏人久平と語らい、賀茂社末社四条坊門別宮領河内南庄に対する玉井次郎の乱妨を止め、現社務資保に引渡すよう命じている。これより先、平治元年(一一五九)一一月に国司藤原実守が賀茂社神主政平(久平の父)を「河内南保司職」に補任し、賀茂別雷社の毎日の供料を備進させることとなった。おそらく政平が実守に当地の開発を申請して保司職に補任されたものであろう。永暦元年(一一六〇)九月、国司実守の兄藤原(徳大寺)実定を領家とし、徳大寺家から賀茂別宮に寄進される形で四至境が定められ庄園となった。しかし応保二年(一一六二)閏二月、政平は四条坊門別宮の神主職を離れたと思われ、代わって実定が後白河院へ奏聞して資保(政平の従兄弟保久の子)を神主に補任し、養和元年(一一八一)九月、資保の子孫が神主職および当庄を相伝することが認められ、元暦二年二月に久平の狼藉停止の院庁下文が出されたという(建久四年八月五日「官宣旨」鳥居大路家文書など)


河内庄
こうちのしよう

石川郡を流れる手取川上・中流域の河谷部、現在の河内かわち村・鳥越とりごえ村・吉野谷よしのだに村・小松市南部・鶴来つるぎ町南部付近を庄域としていたとされ、領家は白山本宮と考えられる。ただし、時期的には山内やまのうち(広域地名の山内の領域)とも重なり、庄域の確定は難しい。「諸社根元記」に金剣きんけん(現鶴来町)の神階叙位にかかわり、「石川郡河内庄金剣宮」とみえ、「拾塵記」には同宮に隣接する清沢せいさわ(現同上)の所在地が「石川郡河内庄剣村」と記される。一方、永徳元年(一三八一)一〇月二八日の忠重公事免状写、同二年三月五日の忠直作職補任状写(ともに春木文書)に「河内庄大日新保」「河内庄大日下新保」とみえ、南限は小松市南東端の大日だいにち川上流部の新保しんぼ町一帯に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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