日本歴史地名大系 「志紀南庄・志紀北庄」の解説
志紀南庄・志紀北庄
しきみなみのしよう・しききたのしよう
山城醍醐寺領河内国五ヵ庄のなかの二庄。志紀郡内にあったことは確かだが、それ以上の所在地比定はむずかしい。「醍醐雑事記」に「河内国五箇庄」として「志紀南五十三町五段二百八十歩」「同北五十六町五段六十歩」とある。他の三ヵ庄は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
山城醍醐寺領河内国五ヵ庄のなかの二庄。志紀郡内にあったことは確かだが、それ以上の所在地比定はむずかしい。「醍醐雑事記」に「河内国五箇庄」として「志紀南五十三町五段二百八十歩」「同北五十六町五段六十歩」とある。他の三ヵ庄は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...