日本歴史地名大系 「部田野村」の解説 部田野村へたのむら 茨城県:那珂湊市部田野村[現在地名]那珂湊市部田野中丸(なかまる)川左岸の水田地帯と台地を占め、東は湊(みなと)村。「和名抄」に「幡田(はた)」郷があり、また元徳三年(一三三一)の平惟輔奉書(鹿島神宮文書)に、<資料は省略されています>とある戸田野(へたの)郷の遺称地である。康永二年(一三四三)の鹿島神宮領田数注文案(鹿島神宮文書)には「吉田郡戸田野廿五丁一反三百歩」とある。また石川氏文書(「新編常陸国誌」所収)には「石川二郎家幹十人子息」のうち「二男 助幹大掾 戸田野主」とあり、江戸氏の水戸城攻略以前は大掾系石川氏の支配下にあった。延文元年(一三五六)遊行九世白木によって字下宿(しもじゆく)へ光明(こうみよう)寺が創建されたが、応永三年(一三九六)に湊村へ移された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by